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はじめまして、細田満和子と申します。
社会学をベースに、チーム医療や患者から見た病いの経験などについての本を書いてきました。星槎大学という社会人の多い大学・大学院では、社会学、社会倫理学、公衆衛生学などを教えています。
医療・福祉・教育がクロスするような現場において生じてくる諸問題を対象に、当事者の立場を中心にその問題構造にアプローチして、問題解決に資するような研究を目指しています。さまざまな病気や障がいには、患者や障がいの当事者や家族による、患者会やピアサポートやセルフヘルプグループと言われるような団体があります。医療者の皆様の中には、良く知っていらして支援しているという方々もいらっしゃると思いますが、あまりなじみがないという方もいらっしゃると思います。この連載では、患者会やピアサポートとは何か、どんなことを目的に、いかなる活動をしているのか、「医療における患者のチカラ」とはどういったものかということを、ご紹介していきたいと思います。
「患者」への注目
近年、医療に関する政治、医学研究、ライフサイエンス企業の研究開発、そして医療実践・臨床において、「患者」への関心が極めて高くなっています。何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、この時の「患者」というのは、医療の受け手や研究対象やクライアントとしてだけではなく、自立した市民、生活者、主体的決定者を意味します。読者の皆様も、患者・市民参画(PPI:Patient and Public Involvement)、患者中心(Patient Centricity)、患者エンゲージメント(Patient Engagement)という用語を聞いたことがあるのではないかと思います。
2005(平成17年)年の政府・与党の「医療制度改革大綱」では、「患者本位の医療のあり方」が医療政策の中で重要なテーマになりました。またAMEDでも、2019(令和元)年に「患者・市民参画(PPI)ガイドブック」を発行して、患者・市民参画(PPI)は、医療研究開発を推進する上で、必須の概念であることを示しました。ライフサイエンス企業も同様で、2022(令和4)年9月には、国内の製薬4社が、研究開発の初期段階から患者と交流するために「Healthcare Café」(ヘルスケア・カフェ)を発足させて、新薬開発につなげようとしています。
病いや障がいと共に生きる人々との「出会い」
では、そのような「患者」とは何か。筆者は30年近く、たくさんの「患者」と呼ばれる皆様と交流させていただいてきました。また、脳卒中、がん、ポストポリオ症候群、ハンセン氏病、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群などの患者会活動についても参加し、色々なことを教えていただきました。この過程で、「患者」とは病いや障がいを持ちながら生きる人々であり、かれらの存在や活動が、新たに病気や障がいを持つようになった人が病気や障がいと共に生きていくことを実現する上で大きな意味を持つことに気づき、今はそれを確信しています。
私がそうした方々と最初に出会ったのは2000年、脳卒中の後遺症で失語症となった人々の患者会、「みさきの会」(仮称)でボランティアをさせていただいた時でした。当時私は、博士課程の院生でしたが、やることと言えば、毎月の例会の時の会場づくりをしたり、書記をしたり、会報の印刷や発送を手伝ったりするくらいでした。
ただその中で、患者と呼ばれる病いになった人自身が,その痛みと苦しみの中で、医療専門職や家族や同じ病いを持つ者に支えられながら、自らの〈生〉を生き抜いている姿を目の当たりにしました。かれらの痛みと苦しみ、他者への思いやりと優しさ、社会と関わりを持とうとする志向性――おそらくそれらは人としての豊かさと言えるもの――に魅了されました。ここに人が生きていくに当たって重要な何かが見い出せるのではないか、と直感的に感じたのです。
そこで、「みさきの会」(仮称)の皆さんにお話を聴かせていただけないかという気持ちが芽生えてきました。ただ、患者会の皆さんに自らの病気とその後の生き方について聴き取りをさせていただくようになったのは、会の手伝いを始めてから1年半後のことでした。それは,聴き取りを申し入れて断られていたからではなくて、人生の中で最も苦しい状況の中にある患者会の皆さんに、話を聴いてもよいのだろうかというためらいを克服していく過程があったからです。
脳卒中になるということが,いかほどまでの苦しみや絶望をもたらすものであるか,自らの死を考えるほどの気持ちに追いやるものかということは、時折語られる会の皆様の言葉から知っていました。たとえ現在は苦しみを乗り越えたように振舞っていたとしても、話を聴くことによって、そうした苦しみを思い起こすことになりはしないか、そもそもそうした苦しみを自分に話してくれるのだろうかといった思いさえ抱くようになっていました。
こうした思いを振り払ってくれたのは、「あんた、もう仲間だよ」という「みさきの会」(仮称)のある会員からの言葉でした。この言葉を聞いたのは、会の手伝いを始めて1年くらい経った頃のことでした。会員の皆様は40代から60代の方が多く、医療者から見た脳卒中とはまた別の側面の、患者としての病気の経験など、さまざまなお話を聞かせてくださいました。
例えば、リハビリテーション医療では、脳卒中症後6カ月を過ぎると回復が「プラトー」になり症状が固定すると考えられています。しかし多くの方が、1年、3年、5年と、節目ごとによくなっているとおっしゃっていました。中には、麻痺した腕が10年経ってから動くようになった、という経験を語ってくださる方もいました。急性期に入院した病院で、医師から「もう治りません」と言われて絶望のどん底に突き落とされ、「体が不自由になることはあるけれど、できることを探していきましょう。よくなりますよ」という言葉があったらどれだけ患者は救われるか、ということも話してくださいました。だからかれらは、脳卒中になって間もない人たちが、表情に乏しく暗くうつむいているのを見ると、かつての自分を重ねて、「いつかよくなる、できることも増えてくる」ということを、自らの経験を基に伝え、励ましたいと思うのでした。これは、同じ立場の人々が支えあうピアサポートといわれるもので、患者会のチカラなのだと思います。
その後、この会の皆様に聴き取りをさせていただいたのを皮切りに、たくさんの「患者」と呼ばれる方々からお話を聴かせていただくようになりました。
こうして脳卒中罹患後、患者と呼ばれる方々が、重要な他者との「出会い」を経て、「新しい自分」へと「変容」し、その後の生活を作り上げていった軌跡を描き出すことができました。それが私の博士論文になり、やがて『脳卒中を生きる意味―病と障がいの社会学―』(青海社)として出版されることになりました。ここでは病院やクリニックにいるだけではなかなか知り得ない、病や障がいと共に生きる人々の姿を垣間見ることができると思います。よろしかったらぜひ本書を手に取ってみてください。
細田 満和子(ほそだ みわこ)
星槎大学教授。博士(社会学)。専門社会調査士。1992年東京大学文学部社会学科を卒業、同大学大学院修士・博士課程修了。学術振興会特別研究員(PD)、コロンビア大学公衆衛生大学院アソシエイト、ハーバード公衆衛生大学院フェローを経て、2012年から現職。社会学をベースに医療・福祉・教育の現場での諸問題を当事者と共に考えている。主著書に『脳卒中を生きる意味』(青海社)、『パブリックヘルス』(明石書店)、『知って得する予防接種の話』(東洋経済新報社)、『チーム医療とは何か(第2版)』(日本看護協会出版会)、『Responsible Leadership』(Routledge, 共著)などがある。
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