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1985年の「家庭医構想」が発端
――では次に第9章「かかりつけ医という言葉の誕生と変遷の歴史」について、お伺いします。
「かかりつけ医」という言葉は、後に日本医師会会長になる村瀬敏郎先生(1992~1996年に会長)が常任理事時代に出てきた「家庭医構想」に対抗するために最初に使ったと言われています。旧厚生省は1985年に「家庭医に関する懇談会」を設置した。1980年代半ば当時の日本で、総合的に幅広く診療できる「家庭医」を担うことができる開業医が少ないと考えるのは当然。そして、ここで政治経済学的な見方をしてみましょうか。
経済学では、「企業は利潤極大化行動をしている」という大胆な仮定を置いたりします。この仮定は大胆なものなのですけど、企業の経済活動やレントシーキングという政治活動の両方に関して、結構な説明力を持っていたりします(編集者注:レントシーキング=団体が自らに都合がよくなるように規制や制度を変更させることで利益を得ようとする活動)。
こうした考えを政治の世界にあてはめる「公共選択論」という学問領域があります。そこでは、政治家に対して、次の選挙で勝つために「得票率極大化行動」を取るという失礼な仮定を置いたりします。でも残念ながら、こうした仮定は、観察される事実に照らし合わせて棄却されるほどのものでもない。こうした考えを、医師会という世界にもあてはめてみましょうか。
日医の執行部は次期会長選の再選、つまり「得票率極大化行動」をすると考えてみる。そうすると、会員が反対することを進めると、次の選挙で責任を取らされるから、日医の方針としては掲げてはいけないことになる。村瀬さんが、家庭医を阻止するために「かかりつけ医」という言葉を持ち出した行動は、この仮説と整合性を持つ。そうした整合性を持つ仮説に基づくと、日医がどのような方針を出してくるのかを予測することもできたりする。
その後、時を経て、2013年8月に登場したのは「かかりつけ医機能」。当時の会長、横倉先生が、四病院団体協議会とまとめた合同提言「医療提供体制のあり方」で使った言葉です。合同提言では、「かかりつけ医」について次のように定義されています。
「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」
この定義が注目されがちですが、当時の状況を考えたら、こうした曖昧な定義を書き込んでおかなければ、「かかりつけ医機能」という言葉の下に、担うべき具体的な役割として、チーム医療・24時間体制・在宅医療の3点セットを盛り込むことは難しかったのだろうと理解しています。
その後、一貫して厚生労働省や財務省の審議会等などの資料では、「かかりつけ医機能」という言葉が使われるようになっていきます。
「かかりつけの医師」という言葉が登場するのは、2021年です(2021年に改訂された厚労省の「オンライン診療の適切な実施に関する指針」)。このあたりは本を参考にしてもらえればと思います。
「名称独占」や「手挙げ方式」採用されず
――2022年11月11日、12月7日の全世代型社会保障構築会議で、先生は「かかりつけ医機能」に関する提案を行っています(『かかりつけ医機能「医療機関、患者双方の手上げ方式」で』などを参照)。
7月に構築会議の委員である香取照幸さんとの『週刊東洋経済』での対談の中で、「政策的なサポートがさほどなされていないのに、既に地域医療の中での連携やプライマリ・ケアを行っている医師たちがいる。彼らは進化上の『突然変異』みたいなもので、我々から見れば好事例でも、周りからは出る杭とか余計なことをすると評されているかもしれない。自然界では自然環境が進化を促していくが、政策の世界では制度が彼らを適者とする役割を担う」とも話しています。
このような考え方をベースとして、「かかりつけ医機能が発揮される制度整備」について考えてみると、こうなりましたというのが、第8回会議(11月11日)に提出した資料「国民の医療介護ニーズに適合した提供体制改革への道筋――医療は競争よりも協調を V2」です。
あの資料は、表紙に書いているように、オリジナルは、「全世代型社会保障構築会議の医療・介護のテーマ別検討の議論の素材として提出した資料」でした。10月ですね。資料のタイトルは、2013年4月19日に、社会保障制度改革国民会議の時に提出した資料と同じタイトルです。だからV2(バージョン2)です。あれから9年半が経ちました。この国の医療介護がやらなければならないことは、その後、いくつかの制度が準備されたりと、一歩か二歩前進したことは高く評価して良いと思いますが、方向性は変わりません。
第8回会議の資料で挙げたのが「かかりつけ医機能合意制度」です。無用な混乱を避けるために、最初から全国民に上からの強制ではなく、医師も患者も合意の上で成立する制度を議論していることを示しておくことは大切だとの判断ゆえです。
では、「かかりつけ医機能合意制度」の下で、かかりつけ医機能を備えた医療機関になるためには、どのような条件を満たせばよいのか。スライド4にはそうした条件を書いています。
「かかりつけ医」はコロナ禍で注目されたけれど、僕らは2013年の社会保障制度改革国民会議の時から、その重要性を指摘しています。構築会議に提出した資料では、次の1から6を全て満たす、または常勤の総合診療専門医を配置していることを「かかりつけ医機能」の条件として挙げています。
12月の第10回構築会議には次を書いた資料「データによる見える化と同様に重要な、政策形成過程の可視化」も出しています。
かかりつけ医機能が発揮される制度整備が関わる問題
(2022年12月7日全世代型社会保障構築会議での権丈氏資料)
- 超高齢社会への対応(地域完結型の「治し・支える医療」への転換の中では、「自らの健康状態をよく把握した身近な医師に日頃から相談・受診しやすい体制を構築していく必要がある」『社会保障制度改革国民会議』(2013))
- 人口減少地域での医療の持続可能性(現在の東京、大阪では医師からも住民からもさほど意識されていない問題:地方の地域が、各地で離島に似たような状態になっていく)
- 医師偏在問題(地域、診療科双方。②同様に、現在の東京、大阪では医師からも住民からもさほど意識されていない問題:「医師需給分科会」(2015年~2022年)において、偏在対策としての「プライマリ・ケア」「総合的な診療能力を有する医師」養成の必要性が繰り返し確認され、「第5次中間とりまとめ」までにも繰り返し記載)
- ACPの推進(『人生の最終段階における医療・ケアの普及・啓発の在り方に関する報告書』(2018)において、かかりつけ医の重要性を確認)。
- 予防・健康増進、健康面での不安の緩和(PFRを医師・医療機関が継続的に管理し、医師側から予防的にアプローチできるプロアクティブなサービスによる健康増進や、コンサルテーション機能の整備)
- そしてパンデミック等、平時とは異なる状況下の医療
- プライマリ・ケアの整備[1から6の最善の解決策である]
――最終的にまとまった12月16日の全世代型の報告書では、「手挙げ方式」は採用されているものの、「名称独占」などは取り入れられていません。
なぜだろうね(笑)。
――12月7日には、次のようにも発言されています。
先週と今週、医療部会で急ピッチで議論が行われているのは分かっております。構築会議では、かかりつけ医機能は患者の権利である、その患者の観点、医療ニーズの観点から求められる「かかりつけ医機能」を提示して、それは今の状況では全員が対応できるわけがないだろうから、医師も準備ができている人からの手挙げ方式でやっていこう、つまり、医療の質を向上していこうというような、幾つもの特徴のある議論を進めてきたわけですが、医療部会の議論はどうもそうしたことは避けられているように見える。
日本記者クラブで「かかりつけ医を考える」というシリーズをやっておりまして、先週月曜日の医療部会の後の水曜日に開催された第4回目のシリーズの会見をユーチューブで見ますと、会見をした人は、「医療部会は構築会議の要望にゼロ回答」と話しています。司会者は、「医療部会には全世代型社会保障構築会議とは全く別物が出てきた。手挙げ方式でも何でもない、制度化でも、登録でもなく、認定制度でもなく、結局今までやっている事実上の曖昧な中でのかかりつけ医という在り方を強化する。これからもこういうやり方で行けば、もっと曖昧なままで行けますよという案ではないのかと思えるようなことが出てきた」と、なかなかうまくといいますか、手厳しく表現していました。
[第10回全世代社会保障構築会議(12月7日)議事録から権丈氏発言を抜粋]
全世代型社会保障構築会議の10月の「医療・介護のテーマ別検討会」で話したことですが、かかりつけ医機能医療機関の質への信頼を確保するために、認定医療機関のみが「かかりつけ医機能療機関」の名称を使って良いようにするのは大切な要件だと思うんですけどね。『もっと気になる社会保障』の「第6章 日本医師会は、なぜ任意加入なのか」があるのだけど、弁護士など加入義務がある組織はクオリティコントロールを行うインセンティブと手段を持つけど、任意加入の組織はどうだろうかね。
――せめて「手挙げ方式」であれば、医師の任意ではあるものの、どこに一定の条件を満たす医師がいるかが国民には明確になる。
そうなれば世界が変わるんじゃないかな。「医療の質を高めるために行うんだ」という方針をしっかりと決めておかないと、「自分も手を挙げることができるようにしろ」という動きは当然出てくる。しかし、「医療の質を高めるために行うんだ」という方針自体を、今の政策形成方法では誰も言うことができない。
「永遠に解決できない課題リスト」の筆頭
――先生が考える「かかりつけ医機能」、せめて全世代型報告書の「かかりつけ医機能」を実現するにはどうすればいいのでしょうか。
分からないですね。僕は、第10回構築会議に「データによる見える化と同様に重要な、政策形成過程の可視化」という資料を提出したわけだけど、もしかするとそのあたりなのかもしれない。ゴルバチョフがグラスノスチ、情報公開を掲げたのがよく分かります(笑)。
――その資料には、次のようなことが書かれていますね。
日本では、ステイクホルダー、利害が違う関係者がみんな参加して、全員一致の報告書をまとめるという方法が、いろんなところでとられてきている。特に、現業との関わりをもつ厚労省ではそうした方法がとられている。
その際、60年代、70年代時の権力構造、力関係が反映した、公共政策の意思決定システムが今も受け継がれているように見えます。年金でも医療でもそうですが、利害当事者たちと霞ヶ関の当該の部局が、役所の人たちの方が受け身の立場で打合せをして、そこでなんとか調整がとれた案が、政策として具体化していく。そうした方法では、公益委員達が考える改革は、何年経っても実現できません。できるとしても、亀よりも遅い歩みとなる。
どうもそうした政策形成過程の特徴が、この国の社会保障行政にはあるのではないか。
もしそうならば、構築会議で議論され一定の方向性を得た改革を実現するためには、政策形成過程を変えないとこれまでの繰り返しになるだけで、ダメなのではないかという、見通しになる。
[第10回全世代社会保障構築会議(12月7日)の権丈氏資料から抜粋]
これは9月の会議で話したことですが、その後、見通し通りになっていったということでしょうか。
進む「地域の離島化」、必要なのはプライマリ・ケア医
――第10回構築会議では、次のようにも話されていますね。
地方の地域が、各地で離島に似たような状態になっていくと書いていますが、この問題に対応できるのは、プライマリ・ケア医なんですね。OECDの平均ではプライマリ・ケア医1人で1180人の地域住民をみている。日本では専門医の必要数については、循環器内科専門医の必要医師数の論文があるのですが、9000人が必要と試算されている。これで日本の人口を割ると、約13,000人。つまり、プライマリ・ケア医は人口が少ないところでその地域の8割から9割の医療ニーズに対応できる。だから離島では、プライマリ・ケア医でしか機能しない。循環器内科は離島にいても彼らの仕事はないし、その地域の医療ニーズにはまったく対応できない。そういう話です。だから、人口減少地域では、プライマリ・ケア医、総合診療医を求める悲鳴のような声がでているわけです。ところが、トップが東京や大阪の人たちの組織からは、そうした声はでてこない。それは必然です。
[第10回全世代社会保障構築会議(12月7日)議事録から権丈氏発言を抜粋]
――そして第11回では、次のように。
前回の配付資料では、人口が減少に直面している地方では、地域の医療ニーズの8割から9割に対応できるプライマリ・ケア医の必要性は高いが、トップが東京や大阪の人たちの組織からは、そうした声はでてこない。それは必然だろうという話をしました。
そこで私は、前回提出した資料に基づいて、この構築会議の報告書に、地域軸の重要性、つまり「それぞれの地域が、その特性に応じた取り組むべき課題に対して必要な措置を講ずるべきである」というふうにしてもらいたいと伝えたのですが、反映はされませんでした。地域軸を表に出すと、地方では、医師会が総合診療医、家庭医が必要と論じていたりしますので、それを受け入れたくはないということはあるのだろうと思います。
日医の会長選は、各都道府県から代議員376人が選ばれて投票が行われる間接選挙となっています。この代議員の11%を東京が、9%を大阪が占めています。
対して、人口減少が激しく地域医療の崩壊が今も進んでいるといえる、北海道は3%、東北6県合わせても7%、そして山陰の鳥取・島根を足しても1%台です。
こうした中、日医の意見ということをどのように考えればいいのかという問が、政治経済学の観点からは出されることになる。
加えて、376人の代議員のうち、60歳未満は合わせて8%です。60歳代は59%で、70歳以上は33%です。
第8回会議の資料7の2ページで、2004年に新医師臨床研修制度がはじまったと書きましたが、代議員で一番若い人は48歳なので、プライマリ・ケアの基本的な診療能力を養成することを狙った新医師臨床研修制度の研修を受けた日医の代議員は、まだひとりもいません。
医療界の人たちは、制限選挙を変える自由民権運動を、よく起こさないもんだと感心もしているわけですけど、前回提出した資料で紹介した2001年に出した本の中に、政治活動はタイムコンシューミングな活動であると書いていまして、若い人たちは揃って多忙な医療界で、自由民権運動は起こらないのだと思います。
そこで仮に、代議員の地域別構成や年齢構成を反映したものが日医の方針であるのならば、日医や、その意向をくむ人たちの提供体制の改革論というのは、都会の意見がかなり反映されていて、地方の実態、そして医療界の若い人たちの現状の医療への批判が反映されていないのではないかと考えられます。
[第11回全世代社会保障構築会議(12月14日)議事録から権丈氏発言を抜粋]
自由な発言ができる会議ですねぇ(笑)。
今日(12月20日)も日医で同じような話をして、出席されていた地方在住の理事の先生たちから、応援演説をいただきました。僕が今日話した後の質疑応答の最後の10分くらいは、地方の先生たちと、総合的な診療能力を持つ医師を養成するためのリカレント教育や、地元の医学部と共同しながら総合診療医の養成をやっているがどう思うかというような話で盛り上がりました。
橋本さんがインタビューした秋田県医師会会長の小泉ひろみ先生も、そのインタビューの中で「地方では、日頃は健康管理や予防接種を行い、病気になったらその治療をする。しかも、一人のみではなく、家族丸ごと診るという、いわゆる家庭医がかかりつけ医ではないでしょうか」と答えられていますよね(『秋田「医療グランドデザイン2040」推進 – 小泉ひろみ・秋田県医師会会長に聞く◆Vol.2』を参照)。幅広く診療してくれる医師へのニーズは確実にあります。もう「人口減少列藩連合」を作って、面積では日本のほとんどを特区にしたいくらいです(笑)。
――そのあたりは、構築会議の報告書の中の文言に関して、次のようにも発言されてましたね。
かかりつけ医機能のところで、私は、日常的に高い頻度で発生する疾患・症状については「幅広く対応」ではなく、「幅広く診療」にすべきではないかと言い続けてきたのですが、そうならない。さらには、「必要に応じて、医療機関が患者の状態を把握するというのは、手挙げ方式や権利としてのかかりつけ医と矛盾する」と言っても、変わらない。
見方を変えれば、日本記者クラブが落胆した厚労省医政局案に見られるように、提供体制は現状維持、その上で「幅広く診療」ではなく「幅広く対応」として、紹介さえできればかかりつけ医機能を満たすことを制度化するとか、専門性の数だけかかりつけ医がいて当然であるというような、この会議では誰も議論していないことを容認するとか、これまでのようにプライマリ・ケア医をブロックしていくのが目的であるのならば、この構築会議の報告書は整合性を持っているということもできます。しかし、本当ににそれでいいのか。
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