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28日未明、事件発生を受け避難する現場近くの住民たち=ふじみ野市の大井西中学校で

28日未明、事件発生を受け避難する現場近くの住民たち=ふじみ野市の大井西中学校で

 人質となって死亡した医師鈴木純一さん(44)は、地域の在宅医療に尽力していた。新型コロナウイルス禍で、自宅療養者を支える役割も担っていた。ふじみ野市など2市1町を所管する東入間医師会の関谷治久会長(66)は「在宅の柱となる人を失った」と惜しんだ。

 2014年9月、同医師会の入会あいさつに訪れた鈴木さんは首から聴診器をぶら下げ、手術着という診察時の姿。関谷会長は「格好には驚かされたが、在宅医療は24時間いつでも患者の元に駆けつけないといけないという情熱がよく分かった」と振り返る。

 関谷会長によると、同市と富士見市、三芳町の2市1町の在宅患者の約8割、約300人を鈴木さんのクリニックが診ていた。新型コロナ感染の「第5波」だった昨年8~9月には、朝霞保健所の依頼で多くの自宅療養者のケアに当たった。関谷会長は「熱心に取り組み、信用される人だった」としのんだ。

 母親が鈴木さんの訪問診療を受けていた三芳町の50代の公務員男性は「深夜でも来て、母親に優しい声をかけてくれ、母親も先生の顔を見るとホッと安心した顔をして治療を受けていた。あんなにいい先生が事件に遭うなんて」と動揺を隠せない様子だった。

 男性によると18年10月、母親=当時(80)=は末期の肺がんを患い、入院治療から在宅医療に切り替えた。病院から紹介されたのが鈴木さんだった。鈴木さんは「患者さんがつらいときは時間を気にしなくていいから、いつでも呼んでください」と、家族への気配りを忘れなかったという。

 訪問診療は胸の痛みを取る緩和療法を中心に、母親が亡くなった同年12月8日まで続いた。男性は「先生が患者の痛みや苦しさを少しでもやわらげようと努力してくれているのが、横で見ている家族にもよく分かった。本当に感謝の気持ちでいっぱいだった」という。

 男性は「高齢化がさらに進む時代、鈴木先生のような医師がたくさん必要になる。大きな(社会の)損失で残念でならない。家族を失ったのと同じぐらいショックを受けた」と話した。鈴木さんは昨年8月、埼玉県内で開かれた東京パラリンピックの聖火リレー関連のイベントで、障害のあるランナーの伴走者も務めた。(寺本康弘、中里宏)



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