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絶望的な状況に陥っても、人間は希望を捨てられないものです。ただし、そういう患者に「希望を与える(だけの)ため」に行う苦し紛れの治療は、圧倒的多くの場合、裏目に出て患者をもっと辛い目に遭わせるだけに終わります。そういう時、我々が「患者が(もしくは家族が)希望したのだから仕方がない」、つまり「こちらには責任がない」という立場を取ると、治療前よりもさらに苦しい状況に陥っている患者や家族に対して「だから言わんこっちゃない」なんて無情な言葉を投げかけてしまうことにもなりますが、それは避けねばなりません。「治療をした」以上は我々もまた同罪であり、それが嫌なら、なんとしてでも治療前に止める必要があります。
しかしながら、これは非常に難しいことで、特に現代ではそうです。理由は二つあります。一つには、前回述べたように、確率論的には「宝くじ」的かもしれないけれども、時として本当に「奇跡的」な効果を上げる治療法が開発されてきたこと、そしてもう一つは、インターネットやSNSの普及によって、玉石混淆の「情報」があふれ、その中には患者に偽りの希望をもたらすガセが多いことです。
インターネット上の偽情報は、特にCOVID-19の”pandemic”に関してクローズアップされ、pandemicに伴う”misinfodemic”なんて言葉もあるようですが、癌のような生死に関わる難病においては、そのずっと前から問題でした。ちなみに”misinformation”というのは、なんらかの目的を持って意図的に間違った情報を流す”disinformation”とは別に扱われていますが、むろん悪意がないからといって患者の利益にならない(もしくは有害な)情報を出すことが正当化されるわけではありません。
ユタ大学などが2018~2019年に行った調査では、4つの癌腫のそれぞれについてSNS上で最も有名な記事50ずつ(合計200)を専門家がレビューしたところ、65記事(32.5%)に間違った情報(misinformation)が、また61記事(30.5%)には有害な情報が含まれていたということです。さらに問題なのは、間違った情報を含む記事の方に、「正しい」記事よりも有意に多くの反応(engagement)があったと報告されています。また一方、social media platformを通したクラウドファンディングにより、科学的に支持されないもしくは有害である可能性もある治療「研究」が、多額の資金を集めているという論文もあり、”misinformation”は多岐にわたって広められていることが示唆されます。
医学雑誌掲載の「画期的な新治療」でも臨床導入2割弱
そういうあからさまな「偽」ではなくても、「ちゃんとした」医学雑誌や学会に出た「有望な新治療」の情報が結果的に間違っていた、なんてのもまた、山ほどあります。カリフォルニア大学(UCSF)のプラサド先生は、1999年から2009年の癌研究での「新発見」に関する医学論文で”highly promising”、”groundbreaking”、”landmark”もしくは”breakthrough”なんて言葉が謳われたものをチェックして、その後どうなったかを検討したそうです(ちなみに、今だったらこれに”gamechanger”なんて言葉もつけ加わるでしょう;「ぶち上げる」ための流行語というのはその時代によって変遷します)。
それによると、該当する88の論文で上記の言葉で「ぶち上げられた」治療法のうち、2020年6月時点(フォロー中央値15年)で臨床導入されているものは17(19.3%)のみだったそうです。そしてその17のうち、12の治療はprogression free survival(PFS)などのsurrogate endpointを基にFDAで承認されていて、overall survival(OS)での優越性が証明されたものは8つのみ、そのOS benefitは中央値で2.8カ月だった、と報告しています。もっとも、OS benefitの平均値は6.0カ月だったそうですから、中には大きな効果があったものもあったようですが、それにしても初めには大層な言葉で喧伝された「新治療」も、「モノ」になったのは2割弱、OSに寄与すると証明されたのは1割弱、その効果も中央値で3カ月足らず、というのですから竜頭蛇尾(もしくは羊頭狗肉?)もいいところでしょう。
よって、我々は偽の情報の海の中で、かつ「本物」についても誇張され歪められた姿でしか見えないまま、「希望」にすがろうとする絶望的な患者や家族と真摯に話し合わなければいけないわけで、考えるだけで溜息をつきたくなります。いかにしてまずネット上での”misinformation”を見分け、対処していくかについてもいくつかの論文が出されていますが、書かれているのは「患者との信頼関係が大事」みたいな当たり前のことが多く、正直言って「目から鱗」みたいに参考になるものは見つかりませんでした。
「もう一回、この薬を使ってくれ」にどう対応?
さて、全くの「ガセ」はともかくとして、医療には絶対はありませんので、極めて実験的な治療法であれ眉唾の民間療法であれ、程度の差はあってもごくごく稀な可能性で「当たる」ことがあるのは事実です。「もう一回、この薬を使ってくれ」などと頼まれるのは誰しも経験していることでしょうが、まず効かないだろうと思っても、「絶対に効かない」とまでは言えないのがほとんどです。そうした時、どこまでならば(どのくらい可能性が低ければ)「無駄である」と結論できるのでしょうか。
よく引用されるのは、「100人にやって一人もうまくいかなければ、それは無益(futile)である」という”medical futility”の基準です。ちなみにこの「うまくいく」とは、治療効果”effect”があるということではなく、治療の利益”benefit”が得られるということです。つまり、腫瘍が縮小しても、患者の症状が良くなったり生存期間が延長したりするのでなければ、「うまくいった」ことになりません。お分かりのように、この「100回やったがダメだった」という基準は、だからと言って「確率ゼロ」ではありません。この場合でも95%信頼区間の上限は3%ですから、「3%以上の成功率はない」ことを示すにすぎません。しかし、こういう状況であれば、それを繰り返すのは「無駄な試み」であり、そういう治療を控えるのに対し、患者や家族の同意は必要ないと指摘されています。
この基準は、事実上「1%以下の可能性しか見込めなければ治療は無駄であり、やる必要はなく、その判断は医療者のみで行なって構わない」というもので、読者の中にも多少の抵抗を感じる方がおられるかもしれません。実際に、欧米でも異論はあるようです。ただ、患者には、「医学的に適応がある治療の施行を断る権利」はあるが、「適応がない治療の施行を受ける権利」はないとされています。もし「適応がない治療」を実験的に、つまりはtrialとしてやるのであれば、それは「trialをやる」研究者が実施すべきで、そうでない医療者が強要されるものではない、というのも大原則になっています。
ただし重要なのは、場合によっては「同意なく」断ってもいいのは、その無駄な、もしくは適応のない治療であり、当該患者のケアそのものではありません。「無駄な治療をしない」のは、患者を見捨てるのとイコールでないのはもちろんですが、往々にして患者や家族はそういう誤解をしますし、また医療者自身もそういう感覚になります。そこはきちんと分けていかねばなりません。
desperation oncologyに走るのを止めるには?
こういう患者や家族がdesperation oncologyに走るのを止めるには、まずは医療者自身が「無理な治療」もしくは「無駄な治療」を勧めないようにするのが第一です。ここで「無理・無駄」というのは、金儲けのためにやっているいかがわしい民間治療を指すのではありません。m3.comの読者の先生方がそういうことをなさらないのは分かっています。しかし、医師はしばしば、「患者を見放したと、患者に思われたくない」からと、「まず無理だろうな」と思いながらも「やってみますか」などとそれこそ「1%以下の確率」の治療法を提示するようなことを行いがちです。ニューヨークの緩和ケア医であるマイヤー先生は、医療者のそうした行為が患者を苦しめるのだ、と指摘し、「積極的治療のオファーが、患者を見放さないということではない」と警鐘を鳴らしています。
最近は、セカンドオピニオンを望む患者が多いのですが、それで受診した先の専門病院が、「患者に冷たいと思われたくない」と、意識的に考えるのか無意識に思うのかは分かりませんが、かなり無理な治療を「そういう手段がある」と提示してしまい、戻ってきた患者や家族に「そんなのできるわけがない」と改めて説得するのに苦労する、という例が目立ちます。
はなはだしきは、自分たちがやった臨床研究の結果を示し、「これをやってもらったらどうか」とかなどと無責任なことを言う「専門医」もいます。その治療は試験的なもので、大して成績も良くないのですが、それにもまして保険診療ではできず、やるとなればこちらは損を覚悟でやらないといけません。上記のように、「trialでやるのであれば、それをやる研究者自身が施行すべき」なのですが、「いや、この患者はセカンドオピニオンで来たのだから、こちらで診療受け入れはできない」と大抵逃げてしまわれます。しかし、こういういい加減なことでお茶を濁すような不誠実極まる「専門医」が、「希望を与えてくれた」と患者から感謝され、「ちゃんと面倒をみる」担当医が恨まれるのが現実なのはやりきれません。
「やって、効かなかった時の失望は余計に大きい」
前回の連載でも取り上げた、アメリカ緩和医療の第一人者ジェニファー・テメル先生は、免疫チェックポイント阻害剤などの「希望」が、実際には一部の患者にしかbenefitをもたらさないことについて、「やって、効かなかった時の失望は余計に大きい」ことを指摘し、その対策の必要性を強調しています。その対策とは、やる前に、いわゆる「ベストを臨み、最悪に備える(hoping for the best, preparing for the worst)」「心の準備」を患者とともにとしておくこと、またやってうまくいかなかった際に患者の失望と悲哀(それは、通常の化学療法がうまくいかなかった時よりもはるかに大きいと言われています)を理解し、ともに次の方策を考えていくこと、などです。これらはごく当たり前といえば当たり前なのですが、「希望」に目が眩むとこうした当たり前のことが見えなくなりがちなのです。
そして、このような「希望」を求めるdesperation oncologyの極北とも呼ぶべきなのが「奇跡を求める」で、こうなるともう正常の論理を超越して神がかってきますから理屈や筋道で説得することはできません。そもそも、「あり得ない」ことが起きるから奇跡なのですから、上記の1%以下で云々というような確率論ではどうにもなりません。それにしても、「あり得ない」はずの「奇跡」を乱発して人々をあおるメディアにも困ったものです。ひどいのになると、宝くじに当たったのを「奇跡だ」なんて称するのがありますが、そもそも宝くじは誰かには必ず当たるもので、当たらないのは詐欺でしょう。
こうした、いわば「御意見無用」状態になった患者や家族にどう対応するか、については、ジョンス・ホプキンス大学の研究者が”AMEN protocol”と名付けた方策を提唱しています。AはAffirm(肯定する)で、そういう希望を持つのはもっともである、我々も患者の回復を望む、と伝えるということです。MはMeetであり、患者や家族のところへ行って、一緒に良くなるように祈れ、と言っています。この場合、meetは、原文では「患者と家族のいる場所でmeetする」という記載になっていて、「会いに行く」よりむしろ、(その立場に)合流する、というような意味合いに使われているようです。
その一方、EはEducate(教育する)で、専門家の立場から、粘り強く病状を説明しろ、と言っています。そしてNは、”No matter what”(何があっても)の略で、「何があっても」自分たちはあなたがたの側にいる、味方であると確認することだそうです。
この提唱者のクーパー先生という方も認めているように、これは患者と家族に翻意を促し、「奇跡をあきらめさせる」というやり方ではありません。むしろ、非現実的な望みをもつ患者や家族が、糸の切れた凧みたいになってどこか行ってしまい、余分に苦しむような目に遭わないように、という「繋ぎ止め」の方法と言えるでしょう。
そしてニューハンプシャー州にあるダートマウス大学のライリー先生という方は、多くの患者が治るようになったこの時代、我々は成功率でのみ医療を評価してしまい、「治せない患者」への関心を失っているのではないかと指摘しています。我々がそうなってしまえば、患者や家族が「なんとしてでも治療を」とdesperation oncologyに走ってしまうのは、むしろ当然でしょう。
看護大学のゼミで学生に出した課題
少なくとも、ここに記したことは、冷静になって考えると当たり前のことばかりです。例えば、私は、看護大学のゼミで教える学生さん(1年生)に対して、こういう課題を出したことがあります。
「既に緩和医療(のみ)の方針を受入れた患者に、『画期的(かも知れない)新しい治療』の情報を伝えるべきか」
臨床現場での実際問題としては、「伝える」しかないのでしょうが、メリットやデメリットを考えた場合、それが果たして「患者のため」か。10人の学生さんのyes/noはちょうど半々に分かれました。そして、「伝えるべきではない」と答えた学生の意見は、次のようなものでした。
学生1. 言ってしまうとそれを拒否する人はほぼいないと思う。だがもし効果がなかった場合、患者さんはどう思うだろうか。治療法が見つかったという希望を見出せるような状態からだとあまりにも落差が大きい。本人が強く望んでも効果がなかった場合の患者さんを見たとき、私は言わなければよかったと思うに違いない。患者の中には、家族の期待にも答えられなかったと自分を責めてしまう人もいるかもしれない。
学生2. 患者は様々な情報を得てしまうことで精神状態を安定させるよりも、不安定になってしまうほうが多いのではないか。もし伝えるのならば医師は患者さんに対して新しい治療の情報を押し付けたり勧めたりするのではなく、あくまで提供するという立場になるべきだと思う。
お分かりのように、これら1年生の考察は、上記テメル先生のそれとほとんど同じです。また、他の学生との対談本の中でもこの話題を取り上げてみましたが、「そういう治療法を知らない時より、あっても薬が手に入らない時の方が辛く、また手に入って試したけれども効かなかった、というのが一番嫌だ」と感想を述べていました。これまた、今回の議論と全く同じことを言っています。つまり、まだ医療現場に立っていない学生さんでも容易に想像できることなのですが、もしかしたら「医学の進歩」と成功例に目がくらんでしまった私たちは、それに気がつかないかもしくは気がついても無視してしまっているのかも知れません。この難題に立ち向かうには、まずはこの当たり前のことを認識することから始めるべきだと私は思います。
とは言いながら、この連載をお読みいただいている先生方は、こうした「当たり前の心構え」みたいなことでは満足されないでしょうから、次回はもうちょっとひねった形での”desperation oncology”対策について述べたいと思います。
【参考文献】
Online misinformation
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「新発見」のその後
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患者を見捨てない、悲しませない
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AMEN protocol
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看護学生との対話
16. 國頭英夫、明智龍男. 死にゆく患者と、どう話すか. 医学書院2016
17. 國頭英夫. 「治る」ってどういうことですか? 医学書院2020

國頭 英夫(くにとう ひでお)
日本赤十字社医療センター化学療法科部長。1961年鳥取県生まれ。1986年東京大学医学部卒。国立がんセンター中央病院内科などを経て現職。日本臨床腫瘍学会協議員・日本肺癌学会評議員。これまでの著作に里見清一名義で『偽善の医療』(2009年)、『医学の勝利が国家を滅ぼす』(2016年)、『「人生百年」という不幸』(2020年、すべて新潮新書)、『死にゆく患者と、どう話すか』(2016年、医学書院)など多数。
日本で”value trial”(コストとバリューを重視した臨床研究)を推進するためのプロジェクトを設立。
そのウェブサイト⇒SATOMI臨床研究プロジェクト
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