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みなさんこんにちは、米国心臓外科医の北原です。この連載では、海外で働く留学医師にインタビューをしています。今回も、米国の緩和ケアについて、コロンビア大学緩和医療科の中川俊一先生に話を聞いてみました。
外科医の「緩和ケアを呼ぶのはまだ早い」という感覚
北原:日本にも緩和ケアチームは結構あるのですか?
中川:もちろんありますが、対象はがん患者がほとんどです。最近心不全も対象になりましたが、米国ではがん患者は半分くらいですね。また、緩和ケア医の数が日本ではまだ少ないので、腫瘍内科や循環器など、それぞれの科の先生が終末期を診ているのだと思いますから、大変だと思います。
北原:緩和ケアは早期から介入すべきだといいますが、外科医が緩和ケアにコンサルトを出すのは、終末期に近くなってからが多いと思います。実際のところはどうですか?
中川:多いですね。「緩和ケアを呼ぶのはまだ早い(We are not there yet)」というのはよく聞くフレーズです。ただ、少なくとも僕の周りでは、ICUは緩和ケアのコンセプトをよく理解していて、緩和ケアを必要としそうな患者がいれば、外科医に介入を検討するよう話してくれます。僕たちは外科医の許可がないと介入できないので。
北原:患者さんのためにはできるだけ早く介入したほうがいいのですよね?
中川: ICUは昨日と今日というような、短期的な患者の変化をモニターしています。加えて、僕のいるような大学病院ではICUを担当するアテンディングが週ごとに変わりますので、1週間単位でものを考える傾向にあります。一方で僕たちは「3週間前と比べて明らかに状況が悪くなっている」というように、長期的に継続して見ます。また、緩和ケアチームには優秀なソーシャルワーカーがいて、患者・家族の精神的なサポートをしてくれるのも大きいです。いよいよ患者さんの状態が悪くなったときには、それまでの関係性のうえで家族に話をするというアプローチができますから。早く介入したほうがいいというのは、そういう意味合いもあります。
日本と米国の緩和ケアに対する考え方の違い
北原:日本と米国の緩和ケアの最も大きな違いってなんですか?
中川:日本では緩和ケアに関する言葉の定義がはっきりしていないということが最も大きいと思います。例えば、「withhold(差し控え)」と「withdrawal(撤退)」という言葉があります。Withholdは「延命治療を最初からやらない」ことで、日本でも一般的に行われています。これに対して、withdrawalは「1回始めた治療を中止する」ことです。挿管して人工呼吸を始めて、抜管すればおそらく亡くなるという状況で、患者・家族の合意のもとに抜管して自然の経過に任せるようなことです。米国では普通に行われています。日本では、法的には可能だと思いますが、実際にはほぼ行われていないと思います。
北原:安楽死や自殺ほう助とは違うんですか?
中川:Euthanasia(安楽死)は医療者が致死量の薬剤を投与すること、Physician-assisted suicide(自殺ほう助)は医療者が致死薬を処方し、患者自らが内服することです。米国では10州のみで合法で、実際の処方までには厳しいスクリーニングがあります。これらは「生命を止めること」が目的です。一方、withdrawalは「つらい治療をやめること」が目的です。安楽死や自殺ほう助は薬物により亡くなりますが、withdrawalでは原因疾患により亡くなります。米国ではこの二つの間には法的にも倫理的にも明確な境界が存在します。
北原:なるほど。安楽死や自殺ほう助、withdrawalの実施には、米国ではどんな原則があるのですか?
中川:「治療により得られるベネフィットよりもリスクのほうが大きいと患者が考えるのであれば、どのような治療も拒否する権利がある」というのが原則です。一度始めた治療を続けるのもやめるのも自由です。また、延命治療はすべて同列に捉えます。呼吸器はやめられるけれど、透析や人工栄養はやめられないということはありえません。
北原:僕自身、日本にいる家族から「親戚が危機的な状況にあるが、挿管すべきか」と相談されたことがあります。一度治療を始めたらやめられないからこそ迷うということが、日本ではまだあるのだと思います。親戚は回復して元気にしていますので、この場合は挿管してよかったのだと思いますが。
中川:一回始めたらやめられないというのは、かなり決断に迷いますよね。日本で安楽死や自殺ほう助が議論されているのをたまに目にしますが、それらは倫理的なハードルがより高いので、その前に、まずはwithdrawalという考え方を議論する必要があるのだと思います。
北原:日本ではwithdrawalはほとんど行われていないんですよね? そうすると、日本ではこのあたりの言葉の違いはどう捉えられているのですか?
中川:非常に曖昧です。Withholdは「尊厳死」、withdrawalは「消極的安楽死」、安楽死や自殺ほう助は「積極的安楽死」となるようですが、違う意味で使われることも多く、米国の言葉と一致しません。
北原:日本と米国でどうしてこういう違いが生まれたのだと思いますか? 日本もいずれは米国のような考え方になるんですか?
中川:米国は個人の意思が尊重されますが、日本は和を重んじますから、みんなが納得しなければならないという考え方が根底にあるのかと思います。また、米国のほうがQOLを重視する傾向があって、それをオープンに話すことができる環境にあるように個人的には感じます。
ECMOは究極の延命治療
だからこそ難しい
北原:僕らのような心臓外科医だと、ECMOをどうwithdrawalするかが焦点になると思います。
中川:ECMOはその素晴らしいテクノロジーゆえに難しいですね。患者本人はECMOに繋がれているものの、意識ははっきりしていて、ご飯を食べたりテレビを見たり、理学療法士と廊下を歩いたりもしている。それなのに、移植や補助人工心臓(LVAD)の適応がない「bridge to nowhere」という状況になることがあります。ECMOで状態をキープできるのは数週間、長くて数カ月で、ICUから出られることはないのだということを患者・家族に話して、今後どうするのか決断しなくてはなりません。1回で結論が出ることはまずありませんので、何度も話します。「この状態だったら生きている意味がないので、できるだけ苦しまないように最期を迎えたい」という方もいれば、決断できないうちに、状態が悪くなる方もいます。
北原:僕が日本にいた頃の経験ですが、当時の日本では心臓移植が決まった患者にしかLVADの適応がありませんでした。LVADには体外式と植え込み式があって、当時は体外式の患者さんが結構いました。そういう患者さんが脳梗塞や脳出血などを起こして意識がなくなってしまった場合、日本ではwithdrawalという考え方が広く受け入れられてはいないので、LVADを止めることが難しい状況でした。患者さんはLVADで循環が保たれているから長期生存できるけれど、意識が戻ることはないという。体外式なので感染症などを繰り返しているうちに亡くなってしまうのですが、難しいなと思います。
中川:難しいですね。まさに「bridge to nowhere」だと思います。家族に治療の目標をどこに置くか話をしなくてはならない状況です。「できるだけ長く生かしてほしい」とういう方もいれば、「こんな状況では生きていたくないと思うから止めてほしい」という方もいますが、日本でおそらく最もプラクティカルなのが「今後状況が悪くなることがあれば、これ以上の延命治療をエスカレートさせない」というアプローチだと思います。あらかじめ制限を決めておくということですから、withhold(差し控え)になるのかと思います。

北原大翔
シカゴ大学心臓外科医/YouTuber
1983年東京生まれ。2008年慶應義塾大学医学部卒業。
慶應義塾大学医学部外科学心臓血管外科に入局、その後同大学、東京大学、旭川医科大学で心臓血管外科医として研修を行い、2016年9月渡米。
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