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みなさんこんにちは、米国心臓外科医の北原です。この連載では、海外で働く留学医師にインタビューをしています。今回も、米国の緩和ケアについて、コロンビア大学緩和医療科の中川俊一先生に話を聞いてみました。
意思決定のできない患者たち
北原:緩和ケア医の役割として、医療者側の見解を患者・家族に伝えるというコミュニケーションがあると思います。でも、いろんな職種のいろんな人の話を情報としてまとめて、状況を正確に判断したうえで、患者さんに伝えなくてはならないって、特に混沌とした状況ではすごく難しいと思います。
中川:まったくその通りです。がん患者さんでいうと、化学療法を受けている患者さんが、誤嚥性肺炎を起こしてICUで挿管されているという状況では、少なくとも腫瘍内科、ICU、感染症科が関わっています。たいていICUから緩和ケアにコンサルトされることが多く、僕らは各科のカルテを読んだり話を聞いたりして情報を集めます。どんな症例でも、キーになる医師が必ずいます。この場合だと、化学療法を担ってきた腫瘍内科医になります。医療者側の見解は、この医師が決定権を持ちますね。
北原:治療を提案するうえで、緩和ケア医自身の考え方というのはどの程度入ってくるものなのですか?
中川:手術や化学療法については先にお話した通りですが、延命治療の提案については、3つのステージを経なくてはならないと思っています。1つめは、患者・家族が病状を理解していること、2つめは、患者の価値観、人生観です。何が大切で、何が嫌で、何が許容できて、何を求めているかということをきちんと話して、見つけ出して、それに対する治療のゴールを設定することです。何が何でも生きたいのか、家族と話ができればいいのか、寝たきりは絶対に嫌なのか、十分に聞かなくてはなりません。3つめは、ゴールを達成するための治療を提案することです。患者は治療について医師ほど理解しているわけではないので、例えばゴールに対して「だったら透析はやめておこう」と話すことは、僕たちのプロの経験と知識が必要な場面です。ただ、その手前であるゴールには、医師の価値観が入るべきではないと思います。
北原:患者と医師の価値観が全然違っていて、患者がとんでもないことを考えていたらどうするのですか?
中川:それはその人の価値観ですから、医師が介入すべきではありません。ただ、患者・家族が現状を理解しておらず、延命治療を「最後まで戦いたい」と選択するような場合には、事実を伝えなくてはならないと思います。心肺蘇生を選択した場合、患者の心臓が止まると家族は病室から締め出されて、複数の医者が心臓マッサージを30~40分も続け、それが最後の瞬間になると患者・家族は知らない、しかし僕たちは知っている。それを伝えきれていないときは非常に悔しくなります。高度な医療の情報について、患者・家族が十分に理解できる形で伝えなければならないと思います。提案の仕方もありますよね。もう心肺蘇生をしても意味がないと医師が思うのであれば、「心肺蘇生をしても命が助かることはないからしないほうがいい」と言うべきだと思います。「心肺蘇生をしますか?」と患者・家族に委ねることは意味がないと思いますし、医師が「しないほうがいい」と言うことに罪悪感を覚えてほしくないと思います。
北原:患者・家族が十分に理解しているなら、助からない延命治療でもするべきですか?
中川:法的な話になりますが、ニューヨーク州だと、患者・家族の同意なく、医師の判断で延命治療をやめることはできません。ですから、そういうときはやらざるを得ません。ただこの場合は、患者・家族が十分に納得しており、彼らの幸せにつながることなので、ゴールと治療は一致しています。僕はそこには葛藤はあまりありません。
北原:あるあるだと思いますが、患者・家族が意思決定できない場合はどうするのですか?
中川:よく聞かれるのですが、「 意思決定ができない」 ということは「延命治療を続けるという決定をしている 」ということになってしまいます。患者・家族が延命治療をやめると決定しなければ、医療者はそれをやめられません。僕がいるような大学病院にはあらゆるテクノロジーがありますから、どんな状態であってもいいのであれば延命をする方法はある程度はあります。逆に「死ぬことは難しい」とすら感じるような場面がたくさんあります。ですから、意思決定しないということは、「延命治療を続ける」決定をしているのだと思います。
北原:どうして意思決定ができないのだと思いますか?
中川:日本だと、死についてオープンに話すことがないというのが大きいと思います。生きがいや楽しみ、「こんな状態であれば生きてたくない」ということを、お正月など、家族や親戚が集まったとき、もしくは病気になったときや病状が進行したときに話し合うことだと思います。僕は「人間は人生のどこかで、死について苦しまなくてはならない」と思っています。生きている以上、この苦しみから逃れることはできません。もしものことを考えたり話たりする、っていうのは楽しいことではないかもしれません。ただ、健康なときからこの「苦しみ」を経ておけば、終末期にはその苦しみから自分も家族も解放されます。逆にこの話をする「苦しみ」を先延ばしにしておくと、状態が悪くなった時、終末期に自分も家族ももっと苦しむことになります。この終末期の「苦しみ」というのは、疼痛とか呼吸苦とかという身体的な苦しみのことではなくて、家族の「本当にこれでいいんだろうか?」「呼吸器に繋がれたまま最期を迎えさせてよかったんだろうか?」という心理的な苦しみのことで、これは一生に渡って続くことすらあります。これを避ける唯一の方法は早期から話し合っておくことです。
「治せない」ときにどうするか
北原:少し話は変わりますが、患者・家族の選択であっても、回復の見込みのない延命治療を続けることは、看護師の精神的負担が大きいと思います。医師はそれに何かできるのですか?
中川:医師は部屋から出れば患者を目にしませんが、ICUの看護師は1日中ずっと患者を見ていますから、たいへんなストレスですし、バーンアウトも多いです。難しいですが、医師が看護師と日常会話するように心がけるだけでも、看護師の心理的負担は全然違うと思います。緩和ケア医の責務として、患者の苦痛を取る、コミュニケーションをとって意思決定をサポートする、それ以外に医療者に対する精神的サポートも大きな仕事だと認識しています。
北原:先生のお話を伺って、緩和ケアをとりまく問題は、僕が思っていたよりもずっと複雑で難しいと分かりました。
中川:医学部での教育は「治す」ことに集中しすぎていると思います。治すための勉強はみんなすごくするんですけれども、治らないとわかると、どうしていいのか分からなくなる。どうやって痛みを取るのかわからないし、どう患者とコミュニケーションをとっていいのかもわからない。患者さんの話を聞いてあげて、病状を説明して、痛みや症状をとってあげると、僕は神の手をもっているわけじゃないし、手術をするわけじゃない、でもものすごく感謝されます。僕は毎日ハッピーに仕事をしていて、毎日病院に行くのがすごく楽しいです。
北原:これからの展望を教えてください。
中川:日本でも米国でもコミュニケーションのトレーニングがもっと進めばと思います。米国にはバイタルトークというものがあり、僕たちはこれを日本でも広める活動をしていて、講習会も行っています(https://www.facebook.com/vitaltalk.jp)。医師のコミュニケーション能力向上に寄与できたらいいなと思います。
北原:すばらしいですね!
~後日~
北原:中川先生に教わって、人生会議をやってみました(外部サイトへリンクします:人生会議を医者が実家で自分の家族とやってみた)

北原大翔
シカゴ大学心臓外科医/YouTuber
1983年東京生まれ。2008年慶應義塾大学医学部卒業。
慶應義塾大学医学部外科学心臓血管外科に入局、その後同大学、東京大学、旭川医科大学で心臓血管外科医として研修を行い、2016年9月渡米。
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