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告知の日からつけ始めた日記と平行して執筆した初のノンフィクション

取材当日、東京都内にて。Photo: Akihito Igarashi

2021年5月末、西加奈子は湿潤性乳管がんとの診断を受けた。2019年12月以来、約2年の予定で夫と子ども、愛猫とともにカナダ、バンクーバーに暮らしていたときだった。新刊『くもをさがす』には、コロナ禍まっただ中でのがん治療をも含めたバンクーバー暮らしと当時の心境が、さまざまな小説や詩、歌詞の引用、そして西自身が病中リアルタイムでつけていた日記からの抜粋もちりばめた形で書かれている。

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手術を経てがんが寛解し、カナダでの生活を終えて昨年帰国した作家は、数年前の取材時と同じ晴れやかな笑顔を見せた。そんな彼女に東京の出版社の会議室で取材できることを心から喜ばしく思う──と冒頭に書いたからと言って「ネタバレ」とは言われないだろう、『くもをさがす』は小説ではなく手記なのだから。

まず、この作品の成り立ちを聞くべくインタビューを始めた。『くもをさがす』のベースとなったのは、がんの告知を受けた日からつけ始めた日記だったという。日記の記述は、本文のところどころにリードのように挿入されている。

【8月17日 今日から日記をつけようと思う。
 日記は久しぶりだから、何を書いていいのか分からない。今日、乳がんと宣告された。自分がこんなことを書かなければいけないなんて、思いもしなかった。乳がん。でも、それ以外はわからない】

同様の宣告を受けた人々と同じように、彼女も「がん」という病になったことに恐怖を感じたとわかる。だが、これはいわゆる「闘病記」とは異なる種類の文章のように思えるのだ。本文にも「これはあくまで治療だ。闘いではない」とある。

「自分のがんを恨むことは一回もなかった」

「自分のがんを恨むことは一回もなかったんです。状況に嘆いたり、システムに苛立ったり、っていうのはあったけど、がんそのものに悪意はない。私たちを殺そうと思っているわけではなく、ただ単純にバグが起こってしまっただけ。がんだって生まれたからには生きようとするし、増殖しようとするのは仕方のないことです。ただ、あなたとは共存はできないから治療するねという感じでした」

日記は「誰にも見せないで、自分の気持ちを書こう」と始めたことだった。「こわい」「しんどい」としか書けない日もあったそうだ。

「何かを書くことで自分は救われるのではないかという予感がどこかにあったと思います。こわかったので、その『こわい』という気持ちを保存しておきたかったんです。ただ、もっと細かいニュアンスがあったはずなのに、『こわい』と3文字に集約されてしまうのは違うなと感じていて。日記を書き始めてから、数日後、数週間後の体調がいいときにパソコンに向かって、あのこわさ、しんどさをもっと豊かな言葉で表現しようと書き始めたものが結果としてこの本になりました。

実際、時間をおいてから客観視して書くことで、自分の心をクリアにしていく作業に救われました。それは小説を読むときの感覚、書くときの感覚と似ていて、改めて自分にとって書くという行為は必要だし、本にはたくさんの引用を入れましたが、読むという行為もとても必要なんだと痛感しました。作家という仕事をしているからこそ、自分から『人間がピンチになったときに小説は必要です』と大きい声で言うのにはちょっと抵抗があったんです。それより、食事や寝るところがもちろん先で、そういったあらゆるものの最後の最後に芸術が必要とされるものだと思ってたんですけど。

自分が自分なりに危機に陥ったとき、表現、創作、芸術といったものは絶対に必要だと思いました。自分自身が携わっているのにピンときていなかったけれど、そしてもちろん食べ物や水が依然一番大事だけれど、こんなに人を生かすものはないと」
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公表する予定もないまま書き始めた記録を、公開してみてはと思い立ったのはなぜだったのだろう。

「手前味噌ですけれど『これは今までの私のものと違うぞ、自分のことを書いたからだけじゃなく、すごく正直だぞ』と思ったんです。ただ主題が病気ということもあって、書き上げたものをまずは(河出書房新社の)編集者の坂上さんに読んでもらって、出版する価値があるかどうかの判断を仰ぎました」

【出版の予定はなかったし、誰に向けて書いているのか分からなかった。でも、いつからか、これは「あなた」に向けて書いているのだと気づいた。どこにいるのか分からないあなた、何を喜び、何に一喜一憂し、何を悲しみ、何を怖れているのか分からない、会ったことのないあなたが、確かに私のそばにいた。(……)あなたに、これを読んでほしいと思った】

「これまで小説を書くときにも、読者を想定していなかったんです。もちろん世に出すにあたって編集したり校正したりするなかでは考えるのですが、少なくとも書いている最中は読者のことを意識していませんでした。それでも、ある程度キャリアがあるので、出版社から依頼があった上で小説を書いている、という感覚もあって。でも、この本を書いてみて、今までも 100パーセント全部自分のために書いていたなと思い知ったんです。

こういう言い方をするとカッコよくなってしまうんですが(笑)、出版するかどうかには、作家の思いや力量を超えて、『その物語が本当にこの世界に生まれたがっているのか』も関係していると思います。この1冊を書いたとき、私はこれが読まれたがっていると強く感じました。そして、これを書いている間、ずっと自分とともにあった他者『あなた』に読んでほしいと。この『くもをさがす』は誰かに読まれて初めてもう一つ命をもらえるんだという感覚があったんです」

「こんなに自分の体を愛した8カ月はなかった」

作中ではバンクーバーの風景や人々の暮らし、そして友人たちや医療従事者たちとのやりとりがリアルに描かれていて興味深い。作家の目を通して見ることで、私たちは日本の「当たり前」に対して覚えていたのに「ないこと」にしていた違和感を再認識させられるのではないだろうか。彼女はバンクーバーを「静かな街」と表現する。たとえば、そこには女性が性的な客体となっているような広告がなく、人々は「この広告のようでなければ(この商品を買わなければ)美しくない、魅力的でない」と「脅される」ことがない。

「私、自分のことが大好きなんですよ。この本を書く前からずっとそうだったんですけど、若いときはそれを大きい声では言えなかったんです。というのも、社会から差し出される『愛されるためのチェック項目』があって、あなたはそれを満たしていますか、満たしていないのに愛されると思いますか? そうジャッジされているように感じてきたからです。さらに、それが内面化して、こんな私でも愛されますか? もっと言うと、こんな自分を私は愛してもいいですか? ということまで、社会にゆだねているような状態だったように思います。

それに対して、『それはおかしい。社会から自分自身を取り戻すべきだ』というテーマで書き続けてきて、自分でもそれを実践してきたつもりだったんです。でも、がんの治療を続けてゆく内に、自分の体に対して44年間本当に酷使して、ごめんね。今までようがんばってきた、よう生きてきた、と心から思えてきて。こんなに自分の体を愛した8カ月はなかった。自分の体、大好き、最高! と大声で言えるようになりました」

読むほうまで苦しくなるような治療の日々も書かれてはいるのだが、彼女が自分自身をいたわり、愛する感覚が底にあるから『くもをさがす』にはいわゆる闘病記とは違った空気が流れているのかもしれない。

「自分は自分だし、一人でしかないんですが、自分の身体はチームだと思っています。脳と心と体のチームで成り立っている、という感覚です。それまでは圧倒的に脳みその意見を重視していたんですが、脳みそって実は簡単に騙されます。本当は今が最高の状態のはずなのに、『いやいやこれよりもっと先まで頑張れますよ』という社会からの命令に従いがちだった気がするんですけれど。今は『ちゃうちゃう、あんた今騙されてる』って思えるようになったし、体や心の意見を聞けるようになりました。年齢も重ねてきたからある程度できているつもりだったけど、がんになったことで決定的になったという感じです」

「心と体は一つだ」と心から理解しているカナダ人に囲まれていたことにも助けられたという。そういえば、文中、彼女が出会うカナダの女性たちはみんな関西弁で話すのだが(そしてそれはごく自然に感じられる)、そうしたのはなぜなのだろうか。

「私には女性たちの英語がそう聞こえたんですよ。大阪で育ったこともあって、当時私を愛してくれたおばちゃんたちの言葉で脳内再生されたんです。たとえば着ている洋服を褒めてくれるときは、『素敵だね』じゃなくて『ええやん!』なんですよ(笑)。言葉も、距離感も大阪のノリで。だから居心地がよかったですね」

言語の壁、日本との医療システムの違いやコロナ禍という特殊な環境に加えて、自分以外の家族やさらには日本から連れていった猫の体調不良といった突発事項に見舞われながらも、そのなかで感じたやさしさや居心地よさのエピソードも描かれていてホッとさせられる。

治療を終えたあとに対峙した、言葉にできない不安

ところで、この本の結末は手術の成功やがんの寛解ではない。手術後、執刀医のマレカに手術の結果がんが消えていたと告げられて嬉しくて泣いたあと、彼女は大切な人たちにメールで知らせ、一人でカフェに行って自分を祝福した。小説ならばここで終わってもよさそうに思う。だが、その次のページから始まる新しい章は、このように書き出されている。

【ここで、語ることを終えられたらいいなと思う。(……)私が小説家なら(実際そうなのだが)、ここで物語を終えるだろう。でも、現実の人生は続く。そして私の治療も続くのだ】

治療が辛かったとき日記に書いた『がんが治ったらやりたいことリスト』は治療後まもなくすべて叶い、やがて平穏な時間を取り戻したのだが、「いわく言いがたい複雑な感情」を覚えてもいた。

「がんや乳がんをわずらった友達はこれまでもいたんです。彼女たちのがんが寛解したと聞いたら『おめでとう!』とお祝いし、喜んでいました。でもいざ自分が当事者になってみると、本人たちはあのときどんな気持ちだったんだろうなと思うんですね。もちろん、『ほんとに終わってよかった! おめでとう』『ありがとう!』だし、それ以外の言い方は思いつかないんだけれど、がんの治療を終えたあとの自分のなかには言葉にできない不安や恐怖があって、『こんなに幸せやのに、なんでこんなに不安なんだろう』と思っていました。

もし、そうした名づけられないものを名づけること、存在していなかったかもしれないものを存在させるのが物語や小説、文章の役割だとしたら、私はそれをやりたい。だからその後のことも書き続けたのだと思います。それまでもいろいろあったけれど、「それ以降」も書き続けることで『あなた』の存在が大きくなった。そして、この物語はより読まれたがっているものになったのではないかと」

読むことや書くことによって救われたというが、その後も日記はつけ続けているのだろうか。

「日記はもう書いていないですね。でも、終わったという感覚もない。終わったというよりは、術後、治療後がずーっと続いている感覚です。私はジョン・アーヴィングの小説が好きなんですけど、彼の物語の素晴らしさはもちろん、きちんとエピローグを書くからなんです。でも、エピローグすらも物語ですよね。本当の人生はいわゆる物語性がなくなってからもずっと続く。『そして人生は続く』という言葉通り、死ぬ瞬間まで人生は続くんです。

罹患したがんの性質から、今後卵巣を取る手術もしますし、引き続き検査もあるし、『治療中』ではないだけでまだ『続いている』。治療を終えても、がんを告知される前とは違う新しい日常を生きていく、という感じでしょうか」

「目をつぶるのではなく、目が乾くまで見る」

Photo: Akihito Igarashi

書くこと、読むことが救いになったことについて、もう少し聞きたいと思った。この本の登場人物の一人に、友人のコニーがいる。コニーは西より1年前に乳がんと診断され、すでに治療を終えていた「先輩」だ。最後の放射線治療を終えたあと、どこかで寂しさを覚えたコニーは今後の生きる目標の一つとしてアイススケートのクラスを取り、もう一つには小説を書こうとしていた。忘れないように書き留めておきたいという気持ちがあったという。それに対して西は「それは、すごくいいと思う」と励ます。

「私の場合、書くことがは自分の心身が前に進むことにつながっていたと思います。頑張って書いたというイメージはないんです。職業病と言われたらそれまでですが、『今の自分は今しかいないから、このときの感覚を絶対残したい』と自然に思いました。

コニーが記録したいことを小説として書くことに意義があると私は思っていました。起こったことを箇条書きで残すこともできる。でも、物語にすることで彼女はきっと忘れないと思ったんです。私自身がそういうタイプなので。たとえば、こんな事件で何人亡くなりましたというニュースを聞きますよね。ニュースは素早く正確に伝えることが役割なので、受け取る側もその情報を素早く正確に受け取る。でも、それだと私、本当にぞっとするんですけど、どんなにショックだったことでもすぐに忘れてしまうんです。ところが、それがそのうちの一人の物語になって、一人一人に人生があって、どういう経緯でそこに至って、加害者側にも物語がある……そういう形で読んで自分のこととして実感すると、絶対に忘れないんです。だから、小説を書こうとしているコニーを応援したんですよ」

最後に、いまピンチに陥っている人に対してアドバイスはあるかと尋ねてみた。

「がんや病気に限らず何らかのピンチに立ったとき、『こわい』『苦しい』って思いますよね? それをもやっとした状態で置いておいても、前に進めるとは思うんですよ。たとえば『恐怖を乗り越える』という言い方だと、恐怖という物体があったとして、足元のそれを目をつぶってまたいでいくイメージが私にはあるんです。それだと乗り越えたことにはなるけれど、恐怖自体が去るわけではないし、今後同じようなことが起こったらまた目をつぶってまたぐしかない。

そうではなくて、それがどういう恐怖なのか観察してみたらどうでしょうか。まず、『なんでこんなにこわいんだろう?』と突き詰めたら、単純に『死ぬのがこわいんだ』とわかる。そこから、じゃあどうして死ぬのが怖いのかとか、死について考えるなどして、自分の前にある得体の知れないものを分析する作業をすることが大切だと思うんです。

目をつぶらずに、目が乾くまで見て、見て、見て、見て、対峙する。そのためのツールが私の場合は文章だったんです。ツールは何でもいいし、表現することがすべてではない。ただ一言言えるのは、今あなたがどういう状態にあるのかわからないけれど、仮に恐怖や苦しみがあるとして、それを正確に表現できるのはあなたしかいないんです。

私はプロの作家ですけれど、たとえば今目の前にいる誰かが苦しい思いをした話を聞いて文章にしたとしても、私は本人から数えて2番目の人間でしかない。自分の苦しみや悲しみを内側から正確に把握できるのは自分だけなんですよ。こわいのはこわい、苦しいのは苦しいけど、それを知っているのは自分だけです。自分がそこから目をそらしたらその感情がなかったことになる。その感情を存在させて抱きしめられるのは自分だけなんですよ。

話を聞いて共感してくれる人はいるし、もしかしたら限りなく近い体験をした人がいるかもしれないけれど、その自分の恐怖はたった一つの尊い恐怖なんです。その恐怖を、苦しみを尊重することが、自分自身を尊重することに繋がるのではないでしょうか。もちろんツールは何でもいいんですが、目をつぶってなかったことにするのはもったいない気がするんです」

『くもをさがす』はバンクーバー滞在中のがん治療を綴った手記であり、事実に基づいて書かれている。同時にこれは、西加奈子という一人の女性の「物語」でもある。その物語は、彼女がピンチを迎えたとき、名づけ得ぬものに名前をつけようと見つめながら「あなた」に向けて手紙のように書かれた。いまピンチに立っていてもいなくても、あなたの心に届くように。

Text: Yoshiko Yamamoto

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