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東京都立川市の住宅街にある「立川在宅ケアクリニック」は、24時間365日対応の在宅緩和ケア専門のクリニック。2000年の開業以来、がん患者、非がん患者を合わせて4139人を看取ってきた。院長の荘司輝昭氏に、クリニックの特長や在宅診療医としてのターニングポイント、コロナ禍における在宅医療について話を聞いた(2022年5月31日インタビュー。計2回連載の2回目)。

荘司輝昭氏
――在宅医療との出合いについて教えてください。
私が研修医の時に、母親を大学病院で看取っています。母親は入院中によく「自宅に帰りたい」と言っていたのですが、父親が産婦人科で開業していて忙しかったこともあり、母親の希望を叶えることができず、その言葉がずっと頭に残っていました。また、父親もその後、独り身となって、孤独死をさせてしまった後悔もあります。
一方、外科医として20年間働いてきて、その後のキャリアで悩んでいました。私が外科医になった当時は、検査して手術して、抗がん剤治療をして看取りまで行っていましたが、次第に検査は内科が、手術は外科で、抗がん剤は腫瘍内科、看取りは緩和ケアといった感じで、どんどん専門性というか、分業制になってきました。そうすると一人の患者さんに関わるのは、外科医は手術の時だけで、継続した関わりができません。もっと最初から最期まできちんと関わることができないかと思うようになりました。
そんな時、ちょうど多摩地区で緩和ケアについての井尾理事長の講演会がありました。そこで「私は救急搬送時の病院外心肺停止の方の検視を行っていますが、先生のところでは救急の時にどうしているんですか」と質問したところ、井尾先生は「うちは救急車を呼ぶなと言っている」と答えました。そういう在宅医療もあるのだと思い、井尾先生のところで在宅医療を勉強したいと思ったのが、在宅医療と関わるきっかけでした。
当初はここのクリニックで3年間だけ研修をして、自分で開業しようと思っていました。しかし、井尾先生は人たらしなものだから、うまく丸め込まれて、気がついたら院長になっていました。騙されたんですね。井尾先生と開業当時から一緒に働いている副院長も呑むとそういっていますよ(笑)。
――在宅診療医としてのターニングポイントは何ですか。
やはり井尾理事長との出会いですね。井尾先生の在宅医療に対する考えや、実践していることが、ぶれないことです。そして一緒に働くスタッフたちが、理事長の考えの下、みんな同じ方向を向いているので、自分のやっていることもぶれずに、ここを継承できたのだと思います。それがなければ開業していましたね。
――井尾理事長のどのような考えが、一番心に響きましたか。
理事長がよく言うのは、「救急車を呼ばないこと」、「痛みは我慢しないこと」など、いろいろありますが、特にその中でも私の心に響いたのが、「在宅看取りには三つの覚悟が必要だ」というものです。
その三つとは、第一は「本人の覚悟」、第二は「家族の覚悟」、第三は「医師の覚悟」で、一番重要なのが第三の「医師の覚悟」だと言うのです。医師が死亡確認をするまで24時間365日体制で見守る体制と覚悟を持つことができなければ、全てが最後に無駄になると言っています。私も、医師にしっかり覚悟ができていないと、この仕事はできないと常々思っています。こうした理事長の考えがぶれないところが、私がここで働き続けている理由でもあります。

立川在宅ケアクリニック(クリニック提供)
――これまでで印象に残っている患者さんのエピソードはありますか。
病院で勤務医として働いていた時のことですが、終末期医療にきちんと向き合わなければと思ったきっかけが、胃がんの末期の若い独身の男性でした。既に余命3カ月の胃がんであると診断されていて、セカンドオピニオンでも同じことを言われたということで、その帰り道患者さんは電車に飛び込もうと思ったと言います。次第に彼は病室でもイライラしてきて、周りに当たり散らすことも多くなってきたので、本人の思いを全部吐き出してもらおうと、彼のお兄さん夫婦にも入ってもらい、私たち医療者とカンファレンスを行いました。
彼が「最期にこれがしたい、これが食べたい、こういったところを見てみたい」といろいろなことを言った時に、「患者さんは、こういうことを最期に望むんだな」ということが分かり、終末期医療にはきちんと対応しなければならないと気づかされました。
在宅医療では、いろいろな患者さんとの出会いがあり、看取りましたが、中でも辛かったのは若い方、特に子どものがん患者さんです。ある患者さんが「僕が死んだら、お母さん、大丈夫かな」と、自分のことよりも母親のことを心配しているのを知って、涙が出そうでした。ただ私は、医師は絶対に患者さんの前では泣いてはいけないと思っているので、ぐっとこらえましたが。
――コロナ禍での在宅診療の変化について教えてください。
まず良い変化としては、退院患者のフォローが増え、在宅医療での対応が増えたこと。コロナ禍で入院中の面会ができないので、家で看ようという流れになったこと。在宅ワークで介護力がアップして、家で看ようとなったこと。そして家でも看られることに多くの人が気づいたことが、COVID-19の副産物と言えるでしょう。
大変だったことは、第5波の時に発熱外来しか行わず、その後のフォローがない医療機関があったり、PCR検査キットだけ送りつけて、陽性であれば発生届を保健所に提出して、診察もしないところがあったことです。COVID-19患者さんはとても不安になり、保健所に電話して、結局、私たちが往診することが多かったですね。
患者さんも不安で大変だったと思いますが、保健所も対応に追われ、結局、崩壊寸前という状態でした。そこで立川市医師会の先生たちと多摩立川保健所、立川市が協力して、COVID-19対応における「立川スタイル」という独自の体制をつくり、第6波に備えました。例えば発生届が保健所に出された時点で立川市医師会にもその情報を送り、医師会を通じて立川市にも送ります。そうすると、通常は東京都を通すことで、自治体に情報が届くまでに2日ほどかかっていたのが、その日のうちに情報が届くことによりオンタイムで自宅療養者に食料品・生活物品などを届けられます。
また、この立川スタイルのポイントは、それまで保健所が行っていた健康観察を第5波以降は発生届を提出した医療機関が行うということが基本でしたが、対応件数が増えて行えない場合には、保健所も健康観察ができなくなる状況であったので保健所から立川市医師会に依頼してそれを訪問看護師が代行することでした。元来訪問看護師は電話での聞き取りや情報収集のスキルにたけており、発生届の情報はその日のうちに訪問看護師に提供されるので、健康観察もその日から行えます。そして、訪問看護師から往診の依頼があれば、私たちが往診するという流れが確立されました。
その体制がスムーズにできたのは、普段から、われわれ地域の医師はお互いに顔の見える、腹の探り合える関係性で、地域で入院調整、退院調整フォロー、在宅でのサポート、地域での支え合い、自治体との連携ができていたからこそだと思います。つまりコロナ禍の在宅医療は、究極の地域包括ケアの実験場であったと言えるでしょう。
立川スタイル(クリニック提供)
――クリニックの課題と今後の展望を聞かせてください。
私の信条は「身の丈に合った診療」なので、クリニックをもっと大きくしたいといった展望はありません。ただ、最近少し真面目に考えているのは、高齢者が今後ますます増えてきた時に、看取るまでの間の生活療養の場所をどうするかという問題です。国は看取りの場所を確保しなければいけないと言っているのですが、例えば家にするのか、施設なのか、まずその体制を構築しなければいけないでしょう。それを国にも考えてほしいし、われわれも地域の医療資源と合わせて考えていかなければならないと思います。
――最後に医療者へのメッセージをお願いします。
在宅医療とは、積極的な治療はせず、「最期を看取るだけの、終末期の医療でしょ?」と思っている先生がいたら、それは違うと言いたいです。例えば私の担当した患者さんで、がんの専門病院でこれ以上治療の方法がなく、余命3カ月と言われ、「痛い、痛い」と言いながら自宅に戻ってきた方が、われわれが在宅で診てきたことで、現在、7年半も痛みもなく普通に生活しています。
ただ、いずれ人間は死ぬわけですから、その時までの生活療養の場をきちんと提供できるのが、私は在宅医療だと思っています。決して、何もしないとか、痛みのコントロールをするだけの医療ではないことは覚えておいてほしいですね。できる治療を常に念頭において、常に「医師の覚悟」をもって医療を提供していく、それが私の考える在宅医療です。在宅医療はすごく面白いし、私はこの先もずっと在宅診療医を続けていくでしょう。
【荘司輝昭・立川在宅ケアクリニック院長に聞く】(2022年5月31日にインタビュー)
Vol.1 在宅看取り件数都内有数のクリニックは週休3日制
Vol.2 「救急車を呼ばない」在宅看取りには医師の覚悟が重要
◆荘司 輝昭(しょうじ・てるあき)氏
1991年に杏林大学医学部卒業、1997年に杏林大学大学院を修了する。杏林大学病院外科のほか、東京都監察医務院にも非常勤で勤務する。2012年に立川在宅ケアクリニックに入職し、2016年より現職。外科専門医、日本在宅医療連合学会・指導医/専門医。また警視庁嘱託医として多摩地区の検視を担当する。
【取材・文・撮影=藤田記子】
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