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ドヤ顔(得意げな顔)で笑って生きる―。そんな思いを込めて音楽イベント「ドヤフェス」を開き、がん患者を励まして検査や保険の大切さを叫び続けた男性がいた。がんと闘い、2020年10月に51歳でこの世を去った「まっちゃき」こと、松崎
◆忌野清志郎さんの追悼イベントで
松崎さんは1969年5月29日、八王子市で生まれた。学生時代にロックスター・忌野清志郎さんにあこがれて、ライブに通い詰めた。忌野さんの母校の都立日野高に入学。忌野さんの曲「トランジスタ・ラジオ」に自身を重ね、学校の屋上で物思いにふける日々を送った。自身もバンドを組んで20代中盤まで音楽活動をした後、介護の仕事に就いた。施設で働いたり、福祉系の専門学校で講師を務めたりしていた。
2009年5月2日、忌野さんが亡くなった。同じく忌野さんを尊敬していた、八王子市の先輩ミュージシャン・梵野三郎さん(56)が忌野さんの追悼ライブ「清志郎ナイト」を主催すると知ると、松崎さんは忌野さんの限定グッズやCDをたくさん持って駆け付けた。梵野さんと松崎さんは、そうして交流を深めるようになった。
松崎さんは梵野さんと語り合った後、フェイスブックにこう書いた。「ぼくと同じ目をした人がいた」
梵野さんは「松崎のことは、ヘタレだけど熱くてかわいい後輩だなと思ったけど、俺は『同じ目』とは思わなかったな」と当時を笑って振り返る。「でも、この頃から、あいつは俺に心を許してくれるようになったんだな」と思い返す。
◆末期がんと診断…病室で企画した「ドヤフェス」
松崎さんは、忌野さんががんで亡くなったのをきっかけに、人間ドックを受診。09年12月、肝臓がんと診断された。その後も転移や再発を繰り返し、12年には、末期がんと診断された。
入院中、病室のベッドで忌野さんのDVDを見て、CDを聞いた。「愛し合ってるかい」と何度も叫ぶ忌野さんの姿が映っていた。「どうせいつか死ぬなら楽しく生きよう。同じ境遇の人にも幸せを感じて生きてほしい」。そうして、「ドヤフェス」を企画した。
忌野さんとバンドを組んでいた山川のりをさんに直接出演交渉すると、すぐに快諾してくれた。その後は梵野さんらの協力を得ながら、2016年11月26日、東京都千代田区のライブハウス「神田THE SHOJIMARU」で第1回を迎えた。出演者と、88人の観客のうち、半数ががん患者ら。車いすの人もいれば、立つのがつらい人もいる。松崎さんは出演者に「『立て!』というあおりだけは絶対にしないで」と注文した。
◆「明日も生きようと思えた」がん患者
明日の命も分からない人たちがいる中で、全身全霊のライブ。ライブ後、がん患者らが喜んでくれた。「純粋に、本当に、楽しかった」「明日も生きようと思えた」。この成功で、松崎さんは各地でドヤフェスを続けるようになった。後輩ミュージシャンの樋口三四郎さん(41)もこの頃から関わるようになった。
松崎さんは入退院を繰り返し、体調は万全ではないときが多かった。それでも周囲には苦しんでいる姿を見せないようにした。さまざまながんと向き合ってきた経験から、ドヤフェス以外でも、松崎さんは積極的に講演で語った。「話をしたい」というがん患者がいたら、全国どこへでも飛んでいき、相談に耳を傾けた。意見を押し付けることはせず、やさしく寄り添った。「がんと闘うんじゃなくて、共生するんだ」と、周囲に語っていた。
◆「ドヤフェスをやると数値が良くなる」
一方、長期間のがんの治療で、手持ちの金銭が目減りしていった。保険も解約しており、どうすることもできなかった。「これからがんになる人には、金銭面でも不安になってほしくない」と、保険の知識などを周囲や観客に伝えた。梵野さんらは、無言で松崎さんに食事をごちそうし、できる限り支援をした。
生前の松崎さんは「ドヤフェスをやると、数値が良くなるんだよ」と笑っていた。医者から「生きているのが不思議なくらい」と言われ「余命半年」と宣告されても、生き続けた。松崎さんの死後、梵野さんらが約10万円かけてカルテを取り寄せると、確かにドヤフェスの直後は、がんの進行具合を表すAFP(腫瘍マーカーの一つ)の数値が下がっているのが確認できた。樋口さんは「医学的には説明できないけど、でも、本当に奇跡みたいな人ですよね」と感心する。
それでも、着実に病状は悪化していった。周囲には気丈に振る舞っていた松崎さんだが、山川さんにだけは死が近いことをほのめかしていたようだ。19年の年始から、山川さんから曲づくりを教わり、松崎さんは作詞作曲を始めた。レコーディングは樋口さんが、ジャケットのデザインなどは梵野さんが手がけた。そうして、何曲かできた。松崎さんは「俺の遺言だ。葬式で流してくれ」と笑った。
振り切れ振り逃げロックンロール(作詞作曲・山川のりを、まっちゃき)
♪僕が死ぬなら後悔したい まだまだ会いたい人いっぱいいるから メーターは振り切れたのに元気な僕さ 不思議な僕のカラダ せっかくだからもっと
◆コロナで中止に…そして「すいませんでした」
新型コロナ禍で、20年6月に開催予定だったドヤフェスは中止に。松崎さんは意気消沈し、浮かない顔の日が続いた。この年の10月12日、梵野さんの元に松崎さんから電話があった。
「すいませんでした」。梵野さんは、松崎さんが死を悟ったのだと感じた。「『謝る必要ないよ』『そんなことねーよ』とか言ったと思うけど、覚えてない」。2日後、松崎さんは帰らぬ人となった。
3年ぶりに復活する、10月22日のドヤフェス。梵野さんや樋口さんは、松崎さんの曲を演奏する。「あいつが生きた証しを、しっかり後世に継いでいく」。がん患者と、これからがんになるかもしれない人と、天国の松崎さんに向けて…。
あと5分くらいで(作詞作曲・まっちゃき)
♪あと5分くらいでお別れの時間 もうちょっとあと少し君と一緒にいたいのに…
気が付けば時計はどんどん進んでく 君との時間も気がつきゃ後わずか
あと5分くらいでお別れの時間 楽しい夕べに君といられて良かった
サヨナラは言わないよ 言いたくないよ またどっかで会おう しばらくは君のそばにいるから
あと5分くらいでお別れの時間 もうちょっとあと少し君と一緒にいたいのに
あと5分くらいでお別れの時間 巻き戻したいけど そいつは無理な相談
あと5分くらいでお別れの時間 そろそろ行かなきゃ あばよ、幸せだったよ
ありがとう皆さん また会う日まで ありがとう皆さん バイバイ
◇
ドヤフェスは22日午後3時から、八王子市三崎町のライブハウス「papaBeat」で。がん経験者、松崎さんを支えた病院スタッフらも出演する。前売り2500円、当日3000円。問い合わせは、papaBeat=電042(626)8894=へ。
◇
◆がんで死亡「4人に1人」…治療費は?
「がん」は身近な存在だ。厚生労働省の人口動態調査によると、2022年の全死亡者の死因別でみると、24.6%が悪性新生物(腫瘍)と、約4人に1人ががんで亡くなり、男女とも肺がんや大腸がんが多い。
診断される確率はもっと高い。国立がん研究センターのまとめでは、日本人が一生のうちにがんと診断される確率は、男性が65.5%、女性が51.2%。担当者は「がんの罹患数と死亡数は、人口の高齢化とともに増加し続けている。ただ、医療技術の進歩により生存率は多くの部位で上昇傾向にある」と話す。
がんと診断された後、気になるのは医療費。大手保険会社メットライフ生命によると、初めてがんになったときの医療費は平均43万円、医療費以外にも平均22万円の出費があり、合計で約66万円の費用がかかる。
病期(ステージ)が進行するほど年間費用は高くなる。ステージ0では平均37万円だが、他の臓器に転移したステージ4では平均108万円が必要に。1回の入院で100万円を超えることもあり、国の補助制度や民間保険の利用で負担を減らせる。
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