主人が積極的治療に見切りを付けなければならなくなり、化学療法を行なっていた病院から、緩和ケア専門病院へ転院する際の紹介状に、
【キーパーソンは奥様】と書かれていました。
つまり、私がキーパーソンです。
(この写真は、実際の紹介状です。)
主人の闘病が始まった時から、私がしっかりせねばとは強く意識していました。
それがその紹介状に書かれた医師からの客観的な一言で、責務を全うしなければと、より一層強固なものとなったことは言うまでもありません。
そこに至るまでのお話をしたいと思います。
まず、主人の両親・兄弟は健在でしたので、折に触れて親族は皆、主人が入院している病院を訪れました。
容態の急変が予想されてからは、特に主人の両親が代わる代わる個室に一緒に寝泊まりし、見守っていました。
私ももちろん病院に行ける限り、足を運びました。
ただ、もともと私は仕事をしていましたし、治療費も稼がなければなりませんでしたし、小さな子供もおりましたので、その合間を縫って病室を訪れる状態でした。
従って、主人の両親・親族・私は、それぞれ役割分担することとなり、主人の病状に変化があれば、常に病室に付き添っている主人の両親に、医師はまず話をするといった状況でした。
しかし、年末に差し掛かる、ある寒い冬の日の病状説明の場に、主人の両親とともに私も参加した時のことです。
「余命あと3ヵ月」
と医師が告げたそばから、
主人の両親は、
「来年の年末までもつでしょうか?」
と問うたのです。
今一度、情報を整理します。
年末に差し掛かる冬でしたので、余命3ヵ月ということは、年明けの春までもつか、もたないかといったところです。
すなわち、残酷ですが、余程の奇跡が起こらない限り、到底来年の年末までもつはずがないのです。
私も子供を持つ親の身ですので、自分の子供の余命宣告が、親にとってどんなに残酷であり、無念であるか、容易に想像することができます。
主人の両親は、そんな現実を受け止めきれず、混乱を来していたのか、はたまた認知症のような病状がちらついていたのかは、今となっては定かではありません。
そんなやりとりが何回か続き、最終的には、常に病室に付き添っている主人の両親ではなく、必ず私の携帯に、医師から直接連絡があり、すべて私に集約され、私が主人や両親に代わって、判断・行動することになりました。
意識のあるタイミングを見計らって、主人と話し合い、主人の意向も汲んで、積極的治療に見切りを付け、緩和ケア病院へ転院すると決めた時も、事務手続きから、転院先の調査、転院当日の段取りも、すべて私一人でやりました。
その際に、何ヵ所も緩和ケア病院を当たらねばならず、何通も紹介状を書いて頂きました。
病室に主人を残し、気掛かりではありながらも、その紹介状を持って、私は何ヵ所も緩和ケア病院へ面談に行きました。
こうして転院先の面談をしている最中に、もしかしたら主人は旅立ってしまうかもしれない。
もしかしたら、そこに私は立ち会えないかもしれない。
もしそうなったら、彼が旅立ったことをどうして受け入れられようか、いや受け入れられまい。
彼の居ないこの先の人生をどうやって生きていけば良いのだろうか。
そんな恐怖に押し潰されそうでした。
それでも転院先を探せるのは私だけ。
彼の頼みの綱は私だけ。
きっと彼は、私が不在の時に、旅立たない。
きっと私の帰りを待っていてくれるはず。
そう思い気丈に振る舞って、緩和ケア病院へ何度も出向きました。
面談を終えて、どの緩和ケア病院も、主人が最終局面であり、予後1~2ヵ月であることは間違いないと判断したものの、すぐに転院できる空きがなく、どの緩和ケア病院も順番待ちとなりました。
しかし幸い、そのうちの1ヵ所の緩和ケア病院から、面談の約1週間後に、空きが出たので、受け入れ可能とご連絡を頂きました。
その裏側には、お別れなさったご遺族の方々がいるのだろうと推察できましたので、いたたまれない気持ちになりました。
また、その旅立たれた方のご冥福をお祈りしながら、転院させて頂けることに心から感謝しました。
主人には、私から転院先が決まったことを告げると、主人はこう言いました。
「最後の最後まで、迷惑掛けてごめんね。ありがとう。
きみを信頼しているから、心配してないよ。
全部任せるから、頼むね。」
こうして、主人は緩和ケア病院へ転院することとなったのですが、何通も書いて頂いた紹介状が1通余っていました。
最後に面談に行く予定だった緩和ケア病院へ訪れることなく、別の所へ転院できることとなったため、不要になった紹介状でした。
どんなことが記載されているのだろう。
転院が決定したその日に、その余っていた紹介状を開封してみました。
そこに、あの一文が書かれていたのです。
【キーパーソンは奥様】
主人からも、医師からも、絶大な支持を寄せられていることに、私は最後の最後まで、しっかりと責務を果たさなければと、思いを強くした瞬間でした。
その思いと決意が、最後まで平静を保つよう作用し、私を突き動かしたと言えると思います。
取り乱すことなく落ち着いて、ある時はひとつひとつを熟考し、ある時は迅速に決断し、最適な言動を行なう、そうすることが主人に対して、してあげられる最後のことだったのです。
大切な人を見送るに際し、誰がキーパーソンになるのか。
誰にキーパーソンになって欲しいのか。
キーパーソンになる準備はできているのか。
キーパーソンになったら、どのような立ち居振る舞いをするのか。
そのようなことを旅立つ側、見送る側、それぞれが真剣に考える必要があると、今振り返ってみて感じます。
私がキーパーソンとしての責務をきちんと果たせたかどうかは、主人のみぞ知るといったところですが、主人にとって、的確適切なキーパーソンであったなら、大変嬉しく思います。