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『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』を出版した斎藤環氏
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響によって経済活動が停滞する中で、著名人の自殺を含めて、自殺増加がたびたび取り沙汰されるほか、他人を巻き込み自ら命を絶つ拡大自殺の事例も発生。社会に衝撃を与えている。“コロナ禍”の人々の心への影響をどのように解釈すればよいのか。またいかに存在している課題を解決するべきか。ひきこもりの問題を専門に多方面のアプローチから社会課題を論じ、今年、コロナを背景にした社会や医療現場の変化などを描いた『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』(晶文社)を出版した、筑波大学社会保健学教授の斎藤環氏に連続でコロナと精神疾患の今を聞く。全3回連載で、今回は第1回。コロナ禍において精神疾患や自殺の増加が問題視されることがある。それに対して斎藤氏は「予想以上に影響は少ない」という見解を示す。コロナの影響には両価的な側面があると指摘した上で、心の問題には二面性があると説明する。(聞き手:ステラ・メディックス代表 獣医師/ジャーナリスト 星良孝)
コロナ禍のアンビバレントな日常
コロナ禍の精神疾患への影響はどう見ているか。
コロナ禍も3年目と、当初の予想以上に長く続いていますが、今の結論から言いますと、思ったよりも精神保健的な影響は少なかったと考えています。
2年目くらいまでは、ひきこもりが良くなるのではないかとか、もしくは、ひきこもりが増えるのではないかとか、あるいは“コロナうつ”とか、いろんな言葉が飛び交いました。それに類する現象はなくはなかったですが、一つの社会現象のような形で激増したり、臨床家がこれまでにない対応をせまられたりするようなことはあまり起きていない。全体から見ると、コロナ禍については「慣れ」や「諦め」が前面に出てきているように思えます。結果的にそれが社会にも「低目安定」のような状態をもたらしている。感染者の減少傾向は鈍いし、マスクはまだ外せないけれども、徐々に日常を回復していこうという。欧米ほど極端な緩和ではありませんが、感染対策と社会参加のバランスという点では、日本はかなりうまくやれているという評価です。結局、ゼロコロナでもウィズコロナでもない、中間的な落とし所に向かいつつあるように思います。
メンタル面への影響については、マイナスな動きと、プラスの作用が拮抗している状態と言うことかもしれません。負の影響も大きかったんですが、それを打ち消すようなプラスの影響もあった。結果的にさほど大きな変化につながってないという印象はあります。
例えば、ひきこもりの患者さんが、社会全体がひきこもってしまったことで元気になるとか、そういうことも一時さかんに言われました。しかし私の観測し得た範囲——一応ひきこもりは人並み以上に多く会っているつもりですが——では、路上に人が減って外出しやすくなった」など、それに近い発言をした患者さんは数人ほどで、ほとんどの方は「コロナ禍になっても何も変わりません」という意見でした。
一番困ったのは、作業所や就労移行支援などの事業所がリモートになるなどしたことでしたが、長期的にはスタッフの努力と工夫で再開している所が多く、こちらの影響も最小限で済んだと思います。
この2年間のスパンで見ますと、結局はほぼ元通りになっています。コロナ禍のおかげでひきこもりがどんどん外出できるようになるところまでは行きませんでした。臨床家の中には、ひきこもりがすごく元気になった、と報告した人もいましたが、おそらくそれは一過性の現象であって、また元に戻っていると思います。結果的に、大勢には影響がなかった、と感じています。
「コロナうつ」に関しては、もともとマスコミ用語なので、これに当たる診断名は存在しませんが、確かにコロナで人に会えないとか、リモートばかりで対面の機会が減ったとか、そういう事情から心身がダメージを受けたという声はよく聞きます。それでは、それがコロナうつの激増として問題になっているかと言えば、そういうわけでもない。一方では、リモートが増えたおかげで対人ストレスが減って楽になったとか、それまで出社できなかった人がリモートになったらかえって勤勉になり、毎日「出社」できているという事例も珍しくありません。
学校も同様です。不登校になった生徒もいますけれども、休校になったおかげで元気が回復し再登校できた人もいます。そのためコロナ禍の影響に関する定量的な裏付けはまだ難しい状況です。私としては、これらのプラス面とマイナス面が、全体で見ると拮抗しているという印象を持っています。ただ、これから述べるように、長期的な視野からみると負の影響の方が徐々に大きくなるでしょう。
対人接触がないことのマイナス面
コロナ後はどう推移するのか。
不登校とひきこもりに関しては、長期的に見て増加は避けられないだろうと見ています。不登校は実際に増えていますけれども、2020年度の不登校人口は19万人と調査開始以来最多となっています。これは無理もないところもあって、休校が長引くと、再登校のプレッシャーが増大しますから、どうしても、その段差でつまずいてしまうということが起こりやすい。ただ、この数年間、不登校は毎年約2万人ずつ増加するという異常事態になっていて、根本には日本の教育システムの制度疲労があると考えています。これはコロナ禍とは別の話ですが。ひきこもりに関して言えば、現在ひきこもっている人に対しては、さっきも言いましたようにあまり大きな影響はないんですけれども、コロナ禍で失業した人、あるいはなかなか再就職ができない人が増えました。その中には、一定の割合でひきこもってしまう人がいたと思います。そういった意味では、長期的に見た場合は不登校、ひきこもりに関しては、じわじわと増えていくだろうなというふうに考えています。
コロナ禍が不登校全般、ひきこもり全般に対して、プラスに働くとはどうしても思えません。コロナ禍で困った、苦しいという声が多く聞かれる一方で、コロナが終わってリモートが全部中止になって、また毎日登校したり出社したりするのはつらい、という声も同じぐらいありましたから。要するに「両価的」といいますか。まさに「アンビバレント」な状況なんだろうなとは思います。コロナ禍は早く終わってほしい。でもリモートワークには楽な面もあって、あんまり簡単に終わってしまうのも困る。そういう矛盾する感情は、私自身にも皆無ではありませんし、結構多くの人に共有されているのではないでしょうか。
ただここで気をつけたいのは、そうした両価的な感情が、コロナに対してのものというよりは、対人接触そのものが持っている両価性ではないかと考えられる点です。人に会うのはしんどいし憂うつな面もあるけれども、ちょっとがまんして実際に会ってしまえば、むしろ会うことで元気になるとか、いろいろとプラス面の影響もある。そうした両価性ですね。
対人接触が激減して楽になった面は確実にあるでしょう。しかし、そういう状況が長期に続くと、楽は楽なんだけど何となく生活の手ごたえがない、張り合いがないという状態になることもあります。全般にやる気が湧いてこないとか、何をするにも気合いが入らないとか、そういう負の影響がじわじわと襲ってくる可能性もあると思います。
現在、大学の授業は多くがハイブリッド、つまり対面とオンラインの双方が利用可能になっていますが、多くの学生がオンラインを選択します。新聞などでは「友達と会えないことがつらい」という学生の声がしばしば報じられていますが、これはどういうことでしょうか。私の考えでは、どちらも学生の本音なんでしょう。授業のために登校するのはつらい、面倒くさい、というのも本音、でも誰とも会えない生活も空しくつらいというのも本音。授業に出席するのはしんどいけれど、教室での交流には楽しい面もあるし、会えれば元気になれる。多くの人にとって「対人接触」にはそうした二つの側面があります。事前には憂うつで気がすすまない、しかし事後的には活性化されて「会えて良かった」となる。つまりここで両価性と呼んでいるものは単なる矛盾ではなく、事前と事後の感想の違いと考えられます。こうした意味での両価性は、学生に限らず、ほとんどの人が経験していることではないでしょうか。
なぜリモートだと伝わらないと言われるか
コロナの対人接触について、著書の中で「暴力」という表現を用いている。
コロナ禍というのは、かつてないほど特異な状況でした。もしこれが100年前のスペイン風邪のような状況だとしたら、選択肢は2つしかなかったわけです。会社であれば「出社する」か「出社しない」かしかなかった。学校もそうですね。登校するか欠席するかのどちらかしかない。
ところが現代は、ITテクノロジーの発達によって選択肢が大まかに言えば3つできた。つまり会うか、リモートか、あるいは会わないかということ。
特に2番目の「リモートで会う」という選択肢が急増しました。一時期は多くの企業がリモートワークに踏み切りました。最近ではかなり対面に戻っているようですが、ZoomやTeamsといったリモート会議システムの利用が急増しました。学会レベルではまだまだリモート開催が多いですし、大学の授業もリモートが主流です。
リモートで話しても対面で話しても、情報伝達という意味でのコミュニケーションというレベルでは同一のはずですよね。ところが、なぜか「リモートでは伝わらないものがある」という意見が非常に多い。それは一体何なんだろうと、考えてみました。表情やしぐさのような非言語的な要素が乏しいとか、雑談などのノイズが少なくなるとか、色々な意見がありましたが、いまひとつ説得力に欠ける印象がありました。私なりに考察を深めた結果、リモートに欠けている最大の要素は「暴力」ではないか、という結論になったのです。
もちろん「暴力」と言うと聞こえが悪いし、非常にどぎつい感じがしますよね。ここでは人を罵倒したり殴ったりするような粗暴な言動に限らず、自他の境界を越えて、こちらに迫ってきて影響を及ぼすような力の働き全般を「暴力」と定義したわけです。他者に対する力の行使をさしあたり「暴力」と呼ぶのは、哲学・思想の文脈では当たり前のことですが、いちおう注釈しておきます。
ほとんどの人は、目の前に他人がいると、なんらかの「圧」を感じると思います。これは、その人の存在感と言ってもいいです。他人に入ってこられると不快に感じる空間をパーソナルスペースと呼びますが、この「不快」をもたらす力を暴力の始まりと考えています。
リモートではなく対面じゃないと話にならない、と主張する人もいますね。要するに、膝を交えて話さないと、話がまとまらないと。これは私なりに言い換えるなら、対面という暴力を行使しないと話がまとまらないということになります。実際、打ち合わせにしても、何かを依頼をする場合、何か決める場合などでも、直に会って話すほうが「話が早い」というのは事実だと思います。「話が早い」のにはいくつか理由がありますが、対面の方が「場の空気」「その場のノリや勢い」「相手の圧」などの作用を利用しやすいということはある。これも対面という「臨場性の暴力」の応用と考えられます。
私もそういうところがありますが、ちょっと発達障害傾向があったりとか、対人恐怖傾向があったりする人は、こうした暴力に非常に敏感です。だから、人に会うのを予想するとすごく憂鬱になる。
例えば今日誰かと会う予定があったとして、それを思い浮かべると、なんとなく憂鬱になる。適当な理由を付けてキャンセルするか、延期したいという気持ちになったりもする。まあでも、約束だからしょうがないと頑張って会いに行くわけです。実際に会ってしまうと、平気になるというか楽になる。むしろ、「やっぱり会って良かった」という気持ちになることも多い。こういう経験は私に限らず多くの人が共有していると思います。この時、事前に起きる「会うことがつらい」という気持ちも、事後に生ずる「会えて良かった」という気持ちも、いずれも対面のはらむ暴力性に起因すると私は考えています。
コロナ禍で最もマズいと思ったポイント
暴力性の問題が心の問題にもつながり得る。
私は「暴力」という言い方をしましたが、もっと普通に「圧」とか「作用」とかマイルドな呼び方をすべきという意見もあるでしょう。ただ私としては、一部の人にとって、対面がひたすら苦痛でしかないことがありうることを強調する意味で、あえて「暴力」の言葉を選びました。その上で言うのですが「暴力」はすべてが悪とは言えませんし、社会で生きるうえで避けることもできません。むしろこの種の暴力抜きでは「社会」が回らないのも事実です。そのことを踏まえた上で、いかに暴力を最小化するかを考えるのが「PC(political correctness、政治的正しさ)」を含む倫理的課題であると思います。もちろんPC自体がしばしば暴力的になりやすいことも踏まえた上で。
社会よりももう少しミクロな人間関係に目を転ずるならば、暴力が関係性を作り上げているところはあります。師弟関係とか、治療関係とか、そういった場面で、直に会うという暴力性が関係の維持に寄与する面もある。そうした暴力すらも耐えがたいから回避したいとなると、あとはひきこもって誰とも会わないことしかなくなります。しかし多くの場合、ひきこもってしまうことは、しばしば「自分自身への暴力」であり、扶養してくれる「家族への暴力」でもあり得ます。徹底してひきこもってみても、暴力をゼロにはできないのです。
もう一つ、欲望という面から考えてみましょう。精神分析家のジャック・ラカンが言った言葉ですけれども、「欲望は他者の欲望である」という有名な言葉があります。私なりの解釈では、人間の欲望というものは、基本的に誰か他人からもらうものである、という意味になります。たとえば「皆が欲しがるから自分も欲しくなる」というように。欲望は感染するわけです。
「自分の内面を掘り下げたり、自分自身としっかり向きあえたりすれば、自分が本当に望むことがわかる」という人がいますが、私はそうは思わない。自分自身の経験から考えても、自分が本当にしたいことは、すべて他者、他人に由来すると考えています。これも、多くの引きこもり当事者と会う中で教えられてきたことです。
「欲望をもたらしてくれる他者とは誰か」という点については、人それぞれとしか言いようがないですけれども、いずれにしても他者との接点がなければ、欲望は維持できないし芽生えてすらこない。コロナ禍はそういう意味で、人々の欲望のピンチだったと考えています。人に会わないことによって、本来ならば芽生えてくるはずのいろんな欲望の水位が低下してしまったのではないか。
今回のコロナ禍で一番まずいと思ったのはそこですね。これはデータを調べていないんで分からないんですけど、おそらくこのコロナ禍の2年間は多くの人の消費活動が控えめになったはずです。私自身、非常に控えめになりました。もちろん旅行ができないし外食も飲み会もできないといった、ベタな理由もあるかもしれませんが。
しかしそれ以前に、全般として消費に抑制がかかってしまった可能性が高いと思っています。これが事実だとすれば、やはり人に会わなければ欲望は維持できないということになる。さっき申し上げたように、臨場性の暴力がないと、社会が回っていかない。この事実が、かなりはっきり見えてきたんじゃないでしょうか。だから今、欧米諸国が率先して、コロナ関連の規制を撤廃してますよね。感染者数は決して減少したとは言えないわけですが。
*総務省の家計調査によると、2000年の二人以上の世帯の1世帯当たりの1カ月の支出額が2000年以降で最も低い数値を記録した。
https://www.meti.go.jp/statistics/pr/rikatuyou_20210219/rikatuyou_20210219.html
「ワクチンパスポートもPCR検査の陰性証明もいらないし、もうマスクなしでどこでも自由に出入りしていい」という方向に、急速に欧米社会が変わってきている。まあこれも、かなり暴力的な決断であって、理屈を聞けば、そうしないと社会が回らないし、経済もダメになってしまうということなんでしょう。何より欧米圏の人々は、日本よりもはるかに「対面(の暴力)」を希求する気持ちが強い。ただこの判断は、コロナ禍で社会が回ることによって、特に高齢者や合併症を持っている人にとってハイリスクな社会になることをあえて選択しているわけです。これも一種の暴力だとは思いますが、この流れはもう止められないでしょう。現在の中国がゼロコロナにこだわりすぎて、暴動や略奪と言ったリアルな暴力が起きたりしているわけですし。その意味で日本は、無制限の規制解除でもなく、ゼロコロナでもない政策をとることで、比較的うまく対応できているように思えます。まあ結果論ではありますが。
私の視点からは、欧米諸国は「社会は暴力がなければ回らない」と自覚したうえで、あえてそれに向けて動き始めたというふうに見えています。日本でも最近、まん延防止等重点措置が取りやめになり、これから徐々に欧米的な決断に近づいて行くことになるでしょう。私の中にも、それはそれで仕方がない、という諦めとも希望ともつかない思いがあります。こうした判断を合理的に説明しようとすれば「社会のためには多少の犠牲はしかたない」という身も蓋もない理路になるでしょう。倫理性という点から言えばとうてい容認される議論ではありません。ではゼロコロナ政策に戻り自粛生活を継続するのが正義かと言われれば、今さらそこには戻れないという思いもある。正直、規制の解除をきちんと正当化できるようなロジックにはまだ出会えていませんが、医療倫理としてもこれはきわめてクリティカルな課題であると感じています。
夫の実家に帰るのをやめて、うつが治った事例
心の問題への影響はどう現れますか。
やはりポジティブとネガティブの両面あると思います。前にも述べたように、対面の機会が減ることで元気をなくした人は確実にいます。一方、リモート化で対人ストレスが減ったことのメリットも少なくない。しかし一般に、ステイホームは多くの主婦にとって多大なストレスになったはずです。それまで日中は出勤していた夫や登校していた子どもが一日中家にいる。うまく家事分担できればまだましですが、それができなければ夫や子どものケアの負担が一気に降りかかる。一方、それまでそうしたストレスの愚痴を話すことができた主婦仲間などとは会う機会がほぼなくなり、発散もできないわけです。一時期、女性の自殺率が上昇したのも当然と言えます。
しかし、主婦にとってもメリットがないわけではない。たとえば多くの主婦ないし妻にとっては、夫の実家に帰省するストレスって半端ではないわけです。口に出して言うかどうかは別として、多くの妻は義実家への帰省に強いストレスを感じている。ところが、コロナ禍のおかげで、帰省のストレスからは一気に解放された。遠方への移動も、高齢者との面会もハイリスクな行動になりますから。義実家に帰らなくて済むということは、すごく大きなストレス軽減につながります。私が診ているケースでも、実家に帰るのをやめてから、うつが劇的に改善したという人もいるくらいです。
職場のストレスの大半は対人ストレスが占めていますが、リモートワークの普及で、対面でいろいろ嫌味を言われたり、ハラスメントを受けたりする機会は激減したと言ってもいい。対面の、悪い意味での暴力を受けずに済むということは、非常に大きなプラスの意味があったと思います。
ただ一方で、さっきも言ったような、会うことのポジティブな影響も無視はできません。欲望を刺激するとか関係性を賦活するとか、そういった面があることを踏まえると、「会えないこと」のマイナスな影響も非常に大きい。
正直、日本において今後どちらの面が強く現れてくるのかは定量的には言えません。現時点では、影響としてはプラスマイナスゼロくらいなので、結果的にうつも激増しなかったし、ひきこもりがすごく増えもしなかった。しかし確実に言えることは、対面の欠如がこれ以上長期化すれば、間違いなくマイナスの影響が大きくなるだろうということです。その意味で、感染状況をモニターしつつ、徐々に規制を撤廃していく方向性は避けられません。ただ、今後もし変異株による重症化率が再び上がるような場合については、状況に合わせて再び規制を強化する、といった柔軟性も維持しておいてほしいと思います。
医療現場は二分
医療現場での心の問題は。
医療現場への影響は、コロナに関係があるかどうかで随分違ったはずです。保健所や発熱外来、コロナ病棟など、コロナに関係がある現場ではまさに修羅場が連続しているわけで、関係者には感謝と敬意しかありません。現状の医療・保健体制の不備や、克服したつもりになっていた感染症に社会がいかに脆弱になっていたかがはっきりしたわけですから、今後は“Withコロナ”に照準した体制の整備を進めて欲しいと考えています。
それ以外の科については、例えば小児科や整形外科が典型ですけど、一時期は外来に来る患者さんが激減し、経営が立ちゆかない事態に至った病院もあったようです。一方、コロナ禍で受診が困難になったことから、規制緩和で電話再診や遠隔医療が認められるといった、ポジティブな変化もありました。日本では主に医師会の反対で遠隔医療の普及が遅れていた事情がありますので、これを機に導入を進めてほしいと考えています。
病院経営という点で言えば、受診が減って赤字化した病院がある半面、コロナ病棟を抱えるような大病院は、国から補助金が出ますので、むしろかなりの黒字になったと聞いています。やむを得ないことではありますが、そういう格差化によるコンフリクトが促進された面もあったかもしれません。
他にも日本では、病院における院内クラスターがかなりたくさん発生したこともあり、職員間で疑心暗鬼になったり、コロナ病棟の職員が差別されたりといった、職員間の分断や対立が生じてしまったのは残念なことでした。
精神科について言えば、電話再診で処方箋を切ることが可能になり、こちらには良い面もありました。通院の負担から治療が途絶えるということはかなり予防できたと思います。ただ実際には、意外と言えば意外なのですが、通院を止めて電話再診に切り替えるという患者はほとんどいませんでした。それだけ治療関係を大切に思ってくれていたのかと、ちょっと安心しました。先述した通り、コロナ禍の直接の影響で心を病んだ人が激増するということは起こりませんでした。ただ、一時期デイケアが利用できなくなったり、自助グループが軒並み活動を休止したりしたことの影響は大きかったと思います。就労支援についても、支援の事業所がリモートになったり、雇用が激減したりして、社会復帰を勧めづらくなったということはありました。ただ、これらの点は最近、かなり改善されてきているように思います。
診察眼を発揮する場は既に少なくなっていた
患者さんへの対応は変化を迫られたか。
精神科に限定して言いますけども、コロナを経たことによって大きく変わる可能性は低いだろうと考えています。間接的な影響としては、政府が初診からのオンライン診療を2022年度から恒久的に認める方針を決めたため、患者さんの選択肢が増えた点は良かったなと思います。
リモートで診療する場合、これまで以上に精神療法的な配慮が要ると思います。電話でやりとりにする場合は、一般的にちょっと当たりがきつくなったり、言葉使いが強くなったりする傾向が出てくることが多い。そういう形で患者さんを怖がらせないように、精神療法的な配慮が必要になってくる。
オンライン診療が当たり前になってきたというのは、非常に大きなことと思います。従来、医師会の抵抗が強くて、オンライン診療はなかなか導入できませんでした。多くの慢性疾患とか精神科でもそうですけれども、わざわざ病院に来てもらって、3分診療で状況が変わりないことを確認して、処方箋を切るだけだったら、リモートでも問題なくできるはずです。そうはいっても訴え以外の顔色とか姿勢とか仕草とか、患者全体の状態を診ないと、診療にならないんだと言う医師の気持ちも分かります。
けれども、よく言われますように、電子カルテ化してからそういったフィジカルな診療技術が発揮されている場面って、すでに激減していると思うんですよね。米国やカナダの研究でも、遠隔医療と対面での診療とで診断や治療成果に差はなかったという研究も報告されています。むしろわざわざ病院に来てもらわなくても済む分だけ患者さんの負担軽減になるというメリットがある。通院の苦労から治療を中断させるリスクを避けられますから、むしろリモート積極活用の方が患者さんのニーズにはかなうんじゃないかと思っています。
(つづく)
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