大切な人に死期が迫る時、仏壇・仏具は一体いつ購入するものでしょうか?
その答えは、人それぞれだと思います。
ただ、私は主人が亡くなる前日に、購入しました。
それは偶然のタイミングでした。
仏壇・仏具の購入前後の思いについて、記したいと思います。
購入に際して、何か嫌な予感がしたわけではありませんでした。
まさか翌日に、主人が本当に亡くなるだなんて思っていませんでした。
ただ、信じられないし、信じたくないけど、もうそろそろ本当に逝ってしまうかもしれない…もしそうだとするならば、私が責任をもって受け入れる準備をしなければ…そんな恐怖感と使命感に駆られたのでした。
そして、最悪の事態を想定して、万が一旅立ってしまったら、主人が自宅に戻って来た時に、我が家には仏壇・仏具など一切ありませんでしたので、所在無げになってしまうことを危惧したのです。
折角自宅に戻って来ても所在無げだなんて、あまりにも惨い気がしたのです。
だから、本当はまだまだ生きていて欲しいし、仏壇・仏具がすぐに役に立たなければ良いと強く願い祈りながら、ネットで仏壇の大きさ・観音開きの扉などを確認し、自宅に置けるサイズの仏壇を選んで購入したのでした。
仏壇・仏具を購入した翌日に、主人は亡くなり、
「昨日私があんな準備をしてしまったから、
私が背中を押してしまい、
旅立ってしまったのではないか…。
買わなければ良かったのかもしれない…。」
そんなことが脳裏を過りました。
そんな消化できないどうしようもない気持ちを抱きながら数日が過ぎたある日、宅急便で仏壇・仏具が我が家に届きました。
それは、主人のお通夜の前日でした。
お通夜・告別式を終え、主人のご両親から分骨して貰った小さな骨壺を持ち帰り、その仏壇にそっと置いたのでした。
その瞬間、
主人は長く壮絶な闘病の入院生活を経て、
やっと帰って来たのだなと、厳かな気持ちになりました。
そして、小さな我が子は、初めて間近でまともに見る仏壇に、物珍しそうな眼差しで、中を覗き込むようにして、こう言いました。
「ここから天国に繋がってるのかな?
お父さんはここから天国とお家を行ったり来たりするのかな?」
行ったり来たり…子供らしい発想に、
「そうかもしれないね。」
と私は答え、悲しみの喪失感の中にも、どこか癒される、和やかな気持ちになったのでした。
あれから数年が経ち、我が子は毎朝毎晩、そして出掛ける度に、仏壇に手を合わせ、父に挨拶している姿を見ると、主人は間違いなくここに居る、ここから見守ってくれていると思いますし、また主人もきっと、そこから我が子の成長を楽しみに眺めてくれていると思います。
主人が他界した直後は、私が仏壇を購入しなければ、あの翌日主人は他界することはなかったかもしれないのに…という思いが過ぎりましたが、主人の無言の帰宅に間に合って、仏壇・仏具が用意できたことは、結果的に良かったと、数年かけて思えるようになりました。
自分を責めようと思えばいくらでも責めることはできます。
あんなことしなければ良かったと後悔することはいくらでもできます。
でも、そんなことを主人は望んでいないだろうなという結論に、私の中では達したのでした。
これは良い悪いの議論ではなく、我が家の結果・結論です。
いつ購入しようか躊躇う気持ちは、もちろんあると思います。
荼毘に付された後、まだ仏壇・仏具が用意できないまま、故人を迎えることもあろうかと思います。
例えどのような状態であっても、ご遺族が一生懸命悩み抜いた結果であり、それは故人にきっと届き、理解を示して貰えるものと思います。
とりとめのない私自身の気持ちの変遷の記述になってしまいましたが、いつ購入しなければならないということは全くなく、結果的に購入したタイミングが、そのご家庭・ご遺族・故人にとって、自然と適切になるものではないかと感じた次第です。