地域ごとに存在する風習・習慣・時期というものは、本当に難しいものです。
主人の新盆の際、義理両親が住む地域のお盆時期に、私が訪れなかったことを、後日義理両親からご注意を受け、その難しさをひしひしと感じたのでした。
主人が他界して間もない8月、苦言を呈されることになり、メンタル的にダメージを受けたことは言うまでもなく、毎年この暑い夏が来る度に思い出します。
さて、主人と私が住んでいた地域と、義理両親が住む地域とでは、お盆の時期が異なりました。
主人の新盆を迎えた、ある年の夏、私の地域と義理両親の地域のお盆時期のちょうど中間にあたる日にちに、私は我が子・主人の親友らと共に、義理実家を訪れ、義理実家近くにある菩提寺で眠る主人のお墓参りに行きました。
ご参考までに、地域によって、お盆の時期は以下のように異なります。
■7/13~7/15
東京都(一部多摩地域を除く)
南関東(主に都市部)
静岡旧市街地
函館
金沢旧市街地
熊本市の一部など
■8/20前後(旧盆)
沖縄県、奄美など南西諸島の一部
■8/13~8/15(月遅れの盆)
南関東(一部地域を除く)
西日本全般
北関東以北(日本のほとんどの地域)
■その他(8/1など)
岐阜県中津川市付知町、中津川市加子母
東京都小金井市、国分寺市、府中市、調布市など多摩地区の一部
※記載に異なる部分がありましたら、申し訳ございません。
私はフルタイムで働いておりましたので、1ヵ月足らずのうちに、何度も休暇を取る訳にはいきませんでした。
ただでさえ、主人の闘病中・主人の葬儀などで、新盆を迎える数ヵ月前に、たくさん休暇を取ってしまっていました。
また、私の地域と義理両親の地域は、飛行機でしか行き来できない距離でした。
短期間に何度も行き来するということは、それだけ時間とお金と、何より私が置かれている環境の周囲の理解と協力が必要なのでした。
そのため、義理両親には事前に、こちらの事情・状況を伝えた上で、お互いの地域の中間日にあたる時期に、お墓参りに訪れることにしました。
そして、心苦しくはありながらも、義理両親の地域の正式なお盆時期に訪れることを見送らせて貰いました。
しかし、義理両親の地域の正式なお盆時期が過ぎた数日後に、義理両親から連絡があったのです。
その内容は、
「自分の旦那の新盆の時期
(義理両親の地域の正式なお盆時期)に、
訪れなかったのは、やはりいかがなものか。
こちらの親戚一同、どうかと思っている。
新盆に娘を寄越さなかった、
あなたの両親もどうなっているのか。」
と。
以下、言葉が過ぎたら申し訳ありません。
念のための確認ですが、義理両親は私の敵なのでしょうか?
私達は、大切な人を亡くした仲間ではないのですか?
私をとやかく言うのは百歩譲って我慢しましょう。
しかし、私の親までとやかく言うのはどういうことですか?
中間日に訪れることは事前に伝えていましたよね?
そちらの地域の正式なお盆時期の訪問は見合わせると伝えた時に、異議申し立てはありませんでしたよね?
合意の上での中間時期のお墓参りではなかったのですか?
そもそも正式な時期かどうかということより、何より弔う気持ちが一番大切なのではないですか?
と、様々な複雑な思いが頭を過りました。
そんな思いが口まで出かかって、その言葉をぐっと飲み込み、気持ちを押し込めました。
売り言葉に買い言葉、そんなことを主人は望んでいないと思ったからです。
年老いた両親を残し、逝かなければならなかった主人の無念の思いに報いるために、私は我慢せねばと咄嗟に思ったのでした。
主人が闘病の終盤に味わった苦痛、終末期に感じた無念に比べたら、私のこんな状況なんてなんのその。
私は何とか乗り越えられる、いや軽々と乗り越えなければと思いました。
だって、私は間違っていないんですもの。
そんな確信が私にはありました。
私としては、新盆を軽視していたつもりもありませんし、全く訪れなかった認識ではありません。
折衷案として、私なりに仕事を調整して休暇を取り、中間日にあたる時期に訪れ、私なりに新盆に主人を弔ったつもりでした。
それが義理両親には届かなかった、理解されなかった、ただそれだけのことでした。
常日頃から、私は子供に、
「人それぞれ考え方は違う。
それが良い悪いではなくて、ただ違うだけ。
違うからと言って、腹立てても
自分が嫌な気持ちになるだけ。
それなら、ただ違うんだなと思えば良い。」
と説いていました。
今回ばかりは、自分で自分にこの言葉を言い聞かせたのでした。
地域ごとに存在する風習・習慣・時期、そして人の気持ち・考え方・捉え方というものは、本当に難しいものですね。