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はじめに

「おもしろきこともなき世をおもしろく」。これは、幕末長州藩の尊王攘夷志士として活躍した高杉 晋作の言葉です。その意の解釈はいろいろありますが「面白くない世の中でも、面白くできるかどうかは自分次第」。谷島さんにお話しを聞くと、この言葉が思い浮かびます。
インタビュアーは、がん情報サイト「オンコロ」コンテンツ・マネジャーの柳澤が担当します。

谷島さんとの出会い

柳澤:谷島さんにお会いしてからどれくらい経ったんでしょうね?

谷島:柳澤さんがNPO法人キャンサーネットジャパン(CNJ)で事務局長をされていた時で、Japan Cancer Forum、ちゃやまちキャンサーフォーラムでお会いしたので、もう8年くらい前じゃないでしょうか?

柳澤:そうでしたね。がん患者会や、支援団体、この領域で活動される方は女性が多いので、珍しいなって思ったのと、ビジネスマインドをもっていて、またちょっとやんちゃなイメージもありました。

谷島:それは柳澤さんに言って欲しくないですね(笑)。

34歳AYA世代でのがん罹患

柳澤:さて、お会いしてから8年。谷島さんがご病気になられた時のことを教えてくれますか?

谷島:当時は大阪ガスという会社で、街づくり関連のプロジェクトに関わる仕事をしていました。2012年8月には子供が生まれるし、保険の見直しもしようと、健康診断を受け病気だとわかりました。34歳の時でした。

柳澤:34歳は若すぎますね。相当なショックだったのでは?

谷島:医師からは、食道のGIST(Gastrointestinal Stromal Tumorの略で、胃や腸の消化管壁の粘膜下にある未熟な間葉系細胞に由来する「肉腫」の一種)であると言われました。

柳澤:いきなりGISTって言われてもわかりませんよね。

谷島:その通りで、医師からは「たちがわるいもの」、もしかすると「平滑筋肉腫」かもしれない、しかし良性の可能性もあると。結局は、最終的にはGISTとの診断となりました。

情報戦が始まるも厳しい現実にも

柳澤:10年前というと、今と違って情報を得るのは大変だったのでは?

谷島:その通りです。私は、最終的にセカンドオピニオンを5回受けることとなりました。これを通じてわかったのは、希少がんであるGISTでは、病院や医師によって、情報の質と量が全然違うということでした。

柳澤:可能な限り情報を集め、最終的に治療法を決定していったのですね。

谷島:GISTには、有効と言われるグリベック(一般名:イマチニブ)という薬剤があります。そんなことから、腫瘍がかなり大きかった私は、ある病院の医師の治療方針で、まずは薬剤で腫瘍を小さくし(術前化学療法)、その後、手術を行うという決断をしました。
しかし、術前化学療法の結果、腫瘍は縮小しておらず、私にはこの薬が有効ではないことがわかりました。希望をもっていただけに、その時は絶望的な気持ちになりました。
同時に、肺転移があることもわかり、また、自身の病気に対する知識レベルが上がっていくにつれて、状況の厳しさに気づいていくのはとても辛かったです。でも、あれから11年も経ったんですね。

活動の原動力は「大切な人たちが生きる未来にかかわりたい」

柳澤:現在の状況はいかがですか?

谷島再発転移の度に手術やラジオ波といった治療を繰り返し、目に見える腫瘍は、取り切った状況です。現在は経過観察中で、5か月に1回程度CTの検査を受けています。

柳澤:それは、なによりです。ところで、谷島さんと言えば、がん領域での啓発などを中心に、多くの新しい試みをされています。どんなきっかけがあったのでしょうか?

谷島:当時3歳だった娘が撮った写真がきっかけでした。身長80cmの子供に見えている世界。子供の目線だからこその景色でした。その時、がん患者「ダカラコソ」見える景色もあると思いました。それが「ダカラコソクリエイト」の始まりでした。そして、その時「たとえこの先を自分が生きられなくても、大切な人たちが生きる未来に何かを残したい」と強く思ったことを覚えています。

柳澤:娘さんがきっかけであったこと、そして谷島さんがその写真からインスパイヤ―されたということとても興味深いです。そして、活動を始めるにあたって、谷島さん「ダカラコソ」感じたことはありますか?

谷島:がんに関わるいろいろなイベントに参加しました。そこで感じたのは、参加者が「がん患者」や「医療者」ばかりということでした。そこに、いわゆる当事者以外の市民はいなくて、実社会とは距離があるのではと感じました。

柳澤:私にとっては多少耳の痛いところもありますが、確かにその通りだと思います。最近は、そんなことも強く認識した上で、がん情報サイト「オンコロ」では、アイドルやアニソンアーティストとの啓発イベント・ライブにも取り組んでいます。しかし、がん医療の啓発活動のデフォルトがある中で、新しい試みをされる原動力は何だったのでしょうか?

谷島:オンコロさんが取り組んでいるチャリティーライブは、とても良い取り組みだと思いますし、私もずっと参加していて、今年は登壇者としてお声がけありがとうございました。
私に関して言えば、当時の私の原動力は、社会に貢献したいとかいうよりも、どうしようもない「怒りと悔しさ」でした。同時に、そんな環境に置かれても、世の中に向けて「逆転劇をみせてやる!」。そんな感じでした(笑)。

患者会ではない「ダカラコソクリエイト」

柳澤:そんな思いで立ち上げた「ダカラコソクリエイト」。これは患者会という形態ではないんですね? それには理由があるんでしょうか?

谷島:いろんな活動の形があって良いと思っています。私の場合は、患者だけでは、患者会だけでは、また医療者だけでは解決できないことも多いのではというのが強く感じていた課題でした。実際に、多くの患者の問題は、病院の中ではなく、日々の暮らしの中で起こっています。
それらの解決に向けては、多様な人が立場を超えて一緒に取り組んでいくことが大切だと思っています。患者や、医療者だけで構成することなく、そして何より、ただでさえタブー感が強く、ネガティブで社会との距離感が遠いがんの世界に「楽しさ」や「わくわく」を取り入れることで、がんと社会の関係性を変えていきたいということが、患者会という形態をとらなかった理由です。

活動の入り口は多様であるべき

柳澤:ちょっと聞きにくい質問ですが、とはいえ、このような活動のコンセプトやアプローチはどうなの?っていう方もおられませんか?

谷島:おっしゃる通りです(笑)。患者が心地いいと感じられる居場所人それぞれだと思っていますし、「がん」という病気の捉え方、感じ方も人それぞれだと思います。
最近、PPI(Patient and Public Involvement)、いわゆるがん医療への市民参画という言葉が知られるようになっています。医療系の学会や、患者会でも知られる言葉になってきました。ただ、これについても、いろいろな形があっていいし、その入り口も多様であるべきだと思っています。

柳澤:なるほど、活動を始める時から、そのポジショニングを意識してきたわけですね。

谷島:そうなりますかね。そんなことから、活動のメッセージを「がん経験を新しい価値に変えて社会に活かす」としています。その価値を患者だけに提供するのではなく、社会全体に役に立つものにするというデザインにしなければと思い、最初からコンセプトとして意識してやってきました。

ネガティブなイメージをポジティブに

柳澤:今まで谷島さんの活動を見てきて、本当にその活動やプロジェクトは多様そのものですね。いくつか紹介して貰えますか?

谷島:ありがとうございます。2、3紹介させて下さい。
1つ目は、がん経験者の闘病を支えてくれた言葉を、誰でも日常で使えるようデザインしたLINEスタンプ「癒し忍法 ニャ助とパ次郎」です。がん患者が救われた言葉とそのエピソードを発信し、がんの経験を、がんに限らず辛さを抱えた様々な人たちを癒すことに役立てつつ、社会に患者の気持ちも理解してもらおうという企画です。
2つ目に3Dプリンターで製作するカプセルトイ「めでぃかるガチャガチャ」です。がん経験者や医療者がお世話になった医療機器の思い出を、エピソードとともにカラフルなガチャガチャにしたものです。医療に楽しく触れられるコンテンツとして、大人にも子供にも大人気で、様々なイベントに出展させて頂いてきました。そして、このカプセルトイの製作は福祉施設さんにご協力いただいており、障害のある人の新しい仕事づくりにもつながりました。
3つ目に、がんをカジュアルに語る社会実験Café&Bar「カラクリLab.」です。これは、大阪梅田の歓楽街、堂山町でリアルに店舗をオープンしました。お店の内装も自分達で行ったものです。タグラインは「生きる、を嗜む。」。おかげ様で患者さんを始め、医療者、そしてこの、がんをはじめ、抱える生きづらさを「話さなくてもいい、でも、隠さなくてもいい」という世界観に賛同頂ける方に利用頂いています。
注:現在、カラクリLab.は不定期オープンの気まぐれCafe&Barで、予定については本ホームページおよびX(旧Twitter)、Facebookにてお知らせしています。

カラクリLab. HP
X(旧Twitter)
Facebook

<LINEスタンプ「癒し忍法 ニャ助とパ次郎」の一部>

<めでぃかるガチャガチャ>

<カラクリLab.の写真>

経済なき道徳は寝言である?*

柳澤:ここまでお話しを聞いてきて、どれも素晴らしい活動だと思いますが、これらについての外部の評価についてどのように思われ、またご自身の評価はどうでしょうか?

谷島:外部の評価については、いろいろなメディアにも取り上げられたり、いろんな方にお褒めを頂いたり、過大な評価頂いていると思っています。
ただ、「がんをカジュアルに表現する」という意味では、先駆者に近い形でやってこれていたと思いますし、これらの領域における文化醸成の一役を担えているとは感じています。

柳澤:一方で、このような活動を続ける上で、様々な問題点や課題は感じていますか?

谷島:これはわかった上で、自分がやろうと決めたことですが、正直、これらの活動のKPI(Key Performance Indicator:重要達成度指標)もありませんし、仕組み作り、組織化、継続性といったことを考えることは苦手です。
今も、これらの活動の価値はなんなのか?と考えることはあります。例えば、活動の継続性を考えた時に、これはお金に代わるものだろうか?などです。

柳澤:言わんとすることはよくわかります。NPOで活動していた時に、いつも考えていたことであり、また、いつも言われてきたことでした。日本は、このような社会活動とお金(経済)を結びつけるのに嫌悪感を持つ方も少なくないですね。

谷島:私たちの活動に市場価値を与え、お金(経済)につなげることで、持続可能なものにしていくことは、これまでの経験から正直難しいとも思っています。本当のイノベーションを起こすには、どうしたら良いかは正直わかりませんし、他のもっと稼ぎやすい事(事業など)でお金を稼いで、このような社会的活動に寄付していく方が良いのではないかとも思ったりします。本当に難しいと思います。

柳澤:この問題や課題は、「社会的意義ある活動を経済的にどう支えるか?」的な別のテーマでの議論が必要ですね。その際には、是非、またお話しを聞かせて下さい。最後に、これからの谷島さんは?

谷島:冒頭にも話したように「未来にかかわる」ことです。私自身は、もちろん「がん」にならなければよかった。そして、「がん」になったこと自体に価値があると思っていなくて、「がんになった谷島」だからこその価値を創り出せるようになりたいと思っています。

* 参考記事はコチラから



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