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くらし家庭面の連載「医療ルネサンス」が9月1日、開始から30年を迎える。1992年から最新の治療法や病気との付き合い方を患者目線で発信し続け、連載回数は7800回を超えた。患者が自ら情報を集め、治療を考えるようになり、医療も大きく変わってきた。iPS細胞作製でノーベル生理学・医学賞を受賞した医学研究者の山中伸弥さんと作家・エッセイストの阿川佐和子さんのオンライン対談を通し、30年の医療の歩みを振り返り、今後の展望と医療報道の役割を考える。
医学 予想超えて進歩…京都大iPS細胞研究財団理事長 山中伸弥さん
ヒトゲノム 一晩で解読
――この30年の医学の進歩や、医療の変化を、どのように見ていますか。
山中
私の父は30年以上前、私が研修医だった時にC型肝炎で肝硬変になり、58歳で亡くなりました。当時は原因不明の病で、栄養補給の点滴など対症療法しかできませんでした。この体験が研究者を目指すきっかけになりました。まだ治せない病気に新しい治療を届けたいと考えたのです。
父が亡くなった翌年の1989年、米国でC型肝炎ウイルスが発見され、世界中で研究が進展。特効薬が開発され、今では治る病気になりました。こうした医学研究の成果は、予想を超えて大きく進んだ面もあります。
例えば、三十数年前は人間の全遺伝情報「ヒトゲノム」を解読する世界的プロジェクトが始まったばかりでした。それが今では、個人の全遺伝情報を一晩で解読でき、遺伝情報の一部を書き換えることも可能になってきています。
一方、今なお治せない病気も多くあります。がんも克服できたとは言えません。まだまだ私たち医学研究者は頑張らないといけない状況です。
阿川
患者・家族の立場から見ても、医療は随分変わったと思います。
例えば「がん告知」。この間まで、家族は「胃潰瘍よ」などと言い、最後まで知らせないことが本人の幸せだと捉えられていました。一方で自分がなった時には本当の事を教えてほしい。そういう話題がドラマや文学でもよく扱われました。それが、2000年前後から、インフォームド・コンセント(説明と同意)やセカンドオピニオンといった言葉が出てきました。
医療が進歩したおかげで、以前は「がん=死」のイメージだったものが、今は事実を知って自ら治療を選ぶというように患者・家族の認識も変わってきています。
それと日本の医療の本当にすごいところは、誰もがある程度の費用で医療を受けられる「国民皆保険」制度だと思います。米国に住む弟家族は、子どもがCT(コンピューター断層撮影法)検査を受けるかどうかで家族会議が必要なほど高額だそうで、感謝しなきゃいけないと思います。
「全体医」の存在 必要に…作家・エッセイスト 阿川佐和子さん
――医療者の意識も変わりました。
阿川
この30年は、専門を極めることに力を注いだ時代だったと思います。心臓、肝臓など様々な分野の専門家が生まれたのは素晴らしいことですが、専門家だけではうまくいかないことも起こります。
人間の体は全部つながっていて、どこか治療すれば別の場所で何か起きるかもしれない。これからの時代は、一つの患部だけでなく、患者を一人の人間として見渡せる「全体医」とでもいう存在が求められていると思います。
山中
この30年で、科学的根拠に基づいて妥当とされる「標準治療」は、かなり進みました。最近は、その患者にとってベストな医療を目指す「個別化医療」の考え方が重要になってきています。
私の知人が肺がんになったんですが、抗がん剤治療を遅らせてまで有名なゴルフコースでプレーすることを選びました。ゴルフが大好きだったんです。余命は短くなったかもしれませんが、その人にとってベストな形だったと思います。
阿川
何が幸せかという点では、延命治療のあり方も変わってきましたよね。昔は有無を言わさず胃ろうや人工呼吸器をつけられていた気がするけれど、最近は患者や家族がよく考えた上で選択できる。人生のピリオドをどこに打つのか、選べる時代になったのは素晴らしいことです。
iPS治療法「日本発で」
――ほかに医療の高度化に伴う課題はありますか。
山中
米国で開発された医薬品が非常に高額になってきています。行き過ぎた資本主義が医療界にも入り、1回の治療で1億数千万円という薬も出ています。
日本には、高額治療の患者負担を軽減する高額療養費制度もあります。患者にとっては良いことですが、財政負担は大きく、いつまでも続かないのは目に見えています。
そこで、日本で画期的な医薬品を開発し、適正価格で世界に売り出すことが必要になります。私たちも「iPS細胞による治療法は日本発で」と考えていて、iPS財団では、再生医療の研究開発を行う企業に、良心的な価格でiPS細胞や技術を提供し、実用化を後押ししています。
阿川
山中先生がノーベル賞を受賞されてから10年。iPS細胞はどこまで実用化が近づいていますか。
山中
国内では目の難病、パーキンソン病、心臓病など約10の病気で臨床研究が進められています。安全性と有効性が確認されれば、国に申請できます。実用化まではマラソンでいう中間地点で、ここからが正念場です。
――健康寿命と本当の寿命の差が10年あります。
阿川
健康寿命というものが、自分で歩いて、自分で判断ができることだと考えると、認知症の場合はなかなか難しいですよね。
母が認知症になった当初は「昔の母はいない」とショックでしたが、そのうち「これでもいいんじゃない」と思うようになりました。
ある時、「何でも忘れちゃうね」って言ったら、母は「私だって覚えていることあるもん」と反論。「じゃあ何を覚えてるの」と聞いたら、「何を覚えているかはちょっと忘れた」とトンチを利かせた答えを返してきたんです。今に対応する能力があるという点では健康ですよね。こうした生き方に誰もがもっと寛容になってくれたら、介護問題も変えられると思うんです。
山中
医学は、今治らない病気を治るようにし、健康寿命を少しでも延ばすことを目的としています。
しかし、いつか健康寿命は尽きます。多くの人が寿命との差を何年か経験する。だから実際の医療では、健康寿命の延伸に加え、この期間を豊かにするために患者・家族を支えることも重要ですね。
――医療情報を発信するメディアへの期待は。
山中
医学研究の情報発信は本当に難しい。英国政府の手法が参考になります。例えば、新型コロナのオミクロン株の重症度を従来株と比較する場合、最先端の研究情報とともに、その情報の確からしさも一緒に発信しています。よい工夫だと思います。
阿川
私もマスコミで仕事をしているから偉そうなことは言えませんが、メディアは悲観的なことを大きく伝えすぎだと感じます。最近は情報が飛び交っているから、患者がお医者さんを追い詰める場面も多々あるし……。患者と医療者が対立するのではなく、チームワークを築く助けになるような情報の発信を期待したいと思います。
「がん=死」のイメージ変わる
この30年、日本の医療は大きく変化した。「医療ルネサンス」は、その時々の最新情報や課題を伝えてきた。医療を受ける患者・家族側の意識も変わった。
まず診断・治療技術の著しい進歩が、多くの病気のイメージを変えた。
かつて、がんは「死に直結する」と受け止められていたが、早期発見すれば治療可能な病気になった。今や胃がん、大腸がんの5年生存率は約95%。免疫に働きかける新薬も登場、治療の選択肢が増えている。
「患者の意思決定」や「患者の権利」が重要視されるようになった。
1997年に公布された改正医療法では、治療方針を決める際に、医師が患者に説明し同意を得る「インフォームド・コンセント」が努力義務になった。主治医以外の意見を参考にする「セカンドオピニオン」の考え方も広まった。
2007年には「患者の意向を尊重した医療体制整備」を柱に掲げた「がん対策基本法」が施行された。15年には医療死亡事故の報告を義務づける「医療事故調査制度」が始まった。
高齢化に伴い、「認知症」が重要課題となった。国家戦略が策定され、発症初期段階から相談・支援に当たるチームが全国に設置された。認知症が進んでも住み慣れた地域で暮らせる社会作りを目指している。
有事の医療支援も強化された。1995年の阪神大震災を受けて発足した災害派遣医療チーム「DMAT」は、2011年の東日本大震災、今回のコロナ禍でも活躍した。
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くらし家庭面で31日から、記念連載「医療ルネサンス30年 デジタルで変わる」を掲載します。
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