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がんと就労

 人生100年時代などと言われ、日本人の平均余命は男性が81.47歳、女性が87.57歳と世界的に長寿の国になっています。長く生きていくことは、それだけ病気になることも多く、国立がん研究センターの資料によると、がんの罹患率も50歳を超えると急速に高くなっています。

 生涯に2人に1人ががんになる状況の中で、今、病気を予防したり、治療したりするだけではなく、病気と共に生きるという「新しい患者役割」が立てられています。治療をしながら仕事を続けていくことも、珍しいことではなくなっているのです(下図)。

 がんと診断された時に、収入のある仕事をしていた人の割合は44.2%ですが、そのうちの約半数は仕事を続けています。一方で約2割は、がんと診断がされて治療をする必要があると、退職したり廃業したりしていました。中には、確定診断の前のがん疑いの段階でやめてしまう方もいる状況でした。そして、いったん退職した後には、6割近くの多くの人が再就職や副業の希望を持てないという状況です。再就職をした人も2割程度いますが、再就職したいけれど現状では無理と答える人も22.5%いました。

がん患者・経験者の就労の状況

健康経営

 このように、病気になると働くことを止める方が一定程度いる状況の中で、企業の側には、働く意欲・能力のある労働者が、病気を理由に仕事を止めることなく、仕事をしながら適切な治療を受け、生き生きと働き続けられることを目指す取り組みをしているところもあります。

 こうした考え方は「健康経営」と言われることもあります。「健康経営」は、経済産業省が進めている施策でもあり、ホームページでは「従業員等の健康保持・増進の取組が、将来的に収益性を高める投資であるとの考えの下、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践すること」とあります(経産省)。

 このように病や障がいと共に生きる人が経済活動を続けていくことは、本人の希望に沿ったり、利益になるだけではなく、企業の側からも求められているものであることが分かります。

企業内のがん患者コミュニティ

 ここでは、がんの患者や経験者が就労を続けていくために支援体制を整えている企業として保険会社のアフラックを例に、その取り組みを紹介したいと思います。アフラックは、日本におけるがん保険のパイオニアとして知られていますが、自社におけるがん罹患社員の治療と就労の両立支援においても、先駆的な取り組みをしています。

 かねてからアフラックでは、がん罹患社員本人、上司、産業医、人事担当者で就労に関わる諸問題について対応していましたが、多くの社員にとって、自分ががんや病気になったとき、どうすればよいのか分からないという現状もあったと言います。そのような時、がん対策基本法の改正も踏まえ、企業としてしっかりがん就労支援に取り組む必要がある、そしてがん保険の会社としても誇れるものにしたい、という思いがあり、既存の取り組みに新たな取り組みを追加して、「がん・傷病 就労支援プログラム」として体系化しました。

 そのプログラムは、がんや病気にかかっても安心して自分らしく働けることを支援するために「相談」「両立」「予防」という3つの柱から成っています。このうち「相談(ピアサポート)」として、がんを経験した社員コミュニティ「All Ribbons」を発足させ、メンバーのアイディアで、社員に対しての相談窓口などを設けています。このコミュニティの発足にあたっても、社内のがん経験者の「仲間と語り合いたい」「病気になった人に自分の経験を伝えたい」という声がきっかけだったと言います。そして、社員に公募をかけ、コミュニティができました。

 その際に最も気を付けたのは、守秘義務だったとのことです。コミュニティへの参加は自由意思で上司に伝える必要はないこと、他の参加者の罹患情報は漏らさないこと、事務局側も限られた人事部のメンバーのみで対応することなどが配慮されました。こうした安心・安全な環境で、「All Ribbons」は続けられています。

がん患者コミュニティの活動成果

 このコミュニティは、病や障がいがあっても働きやすくなるように企業の制度改革を支援するという活動にも寄与しています。例えば、2019年には管理職全員に、「職場の“がん治療と仕事の両立支援”講座」の研修を実施し、がん患者と向き合う医師の講話を聴いたり、罹患した社員と上司のやり取りを想定したロールプレイング等を行ったりしました。その結果、これまでは長期間休んで治療に専念することを目的としていた制度を見直す必要性が管理職にも理解してもらえ、既存制度における制約が変革されました。その結果、通院治療にも利用できるよう時間単位年休が導入されたり、従来は一定日数以上の時に使用することとなっていた積立年休(ストック休暇)や傷病欠勤が、1時間単位から申請できるように変更されたりしました。こうして、がん患者や経験者である社員が、治療と就労を両立させることが無理なく可能になり、それが会社の強みになっています。

人生100歳時代の働き続けられる環境づくり

 上記のような、がんに罹患した従業員の企業の受け入れ態勢の整備を拡充すると共に、現在、定年後のがん罹患者をめぐる継続雇用についても、問題提起がなされています。ある調査によると、一般と比べて半分しか行われていないという厳しい現実が浮き彫りとなったのです。

 その背景として、患者が働くことを希望しても再雇用がフルタイム勤務を前提としており、体力低下に応じた働き方の選択ができないことや、本人が働くことを諦めている現実があるというのです。

 60歳以上65歳未満の労働者の人口は541万人、65歳以上70歳未満では450万人と想定され、全労働者の約20%を占めています(内閣府:平成29年版高齢社会白書)。50歳以上、69歳以下でがんを経験した正社員(N=206)に対して、2019年に行われたオンライン調査でも、がんと診断されたときの回答者の職業は、民間企業83.5%、公務員16.5%でしたが、診断後の就職状況は民間企業58.7%、公務員6.3%と低下していて、多くの方が離職されていることが分かります。

 人生100歳時代を本気で考えるならば、働く意欲のある病や障がいと共に生きる人が、65歳の定年後も再雇用への道が開かれ、就労を継続できる環境が整備されることも重要な社会的課題になると思われます。

多様性、公正性と包摂の社会へ

 企業内や業種内などで「働く」という共通事項(ピア)の中で、就労体験と病気や障がいの体験を生かして、働くことに特化した支援を行う「ワーキング・ピアサポーター」も近年注目されています。同じ会社や同じ職種において、最適なサポートプログラムを企画、運営、実施ができることを支援するもので、プログラムの実行にあたっては、対面形式だけでなくオンラインを活用した形態もあるといいます。

 先述したアフラックの「All Ribbons」などは、まさにこのワーキング・ピアサポートに当たると考えられますが、このような存在が各企業や職種においてあっても良いのではないかと思います。患者当事者にとっても企業にとっても、win-winの関係となります。

 そしてそれは、近年の目指されている「DE and I(Diversity. Equity and Inclusion。多様性、公正性、包摂)」を具現化するものと捉えられます。企業組織の中で、病や障がい、そしてそれだけでなく多様な視点や仕事や人生の経験をもつ構成メンバーがいることによって、違いを認識し、尊重し、大切にすることを学びあうことが可能になります。ここに多様性の力が生まれ、その力を発揮して、恩恵を得ることもできるのでしょう。それは、誰もが生きやすく、人生に楽しみや意義を見出せる社会へと続く道になると思われます。

細田 満和子(ほそだ みわこ)

星槎大学教授。博士(社会学)。専門社会調査士。1992年東京大学文学部社会学科を卒業、同大学大学院修士・博士課程修了。学術振興会特別研究員(PD)、コロンビア大学公衆衛生大学院アソシエイト、ハーバード公衆衛生大学院フェローを経て、2012年から現職。社会学をベースに医療・福祉・教育の現場での諸問題を当事者と共に考えている。主著書に『脳卒中を生きる意味』(青海社)、『パブリックヘルス』(明石書店)、『知って得する予防接種の話』(東洋経済新報社)、『「チーム医療」とは何か(第2版)』(日本看護協会出版会)、『Responsible Leadership』(Routledge、共著)などがある。

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