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記事公開日:2023年10月13日

東京電力福島第一原発事故のあと、福島県が検査を続けてきた“子どもの甲状腺がん”。今年7月までに316人が「がん」や「がん疑い」と診断され、8割が甲状腺を摘出するなどの手術をおこないました。事故から12年がたったいま、若者たちが自らの経験を語りはじめています。患者や家族はどのような思いや「生きづらさ」を抱えてきたのか、埋もれてきた声にじっくりと耳を傾けます。

声をあげはじめた若者たち

原発事故のあと、 健康への影響で懸念されたのが、子どもの甲状腺がんです。

福島県は、当時18歳以下だった子どもを対象に継続して検査を実施。今年7月までに316人が「がん」または「がん疑い」と診断され、8割にあたる262人が甲状腺を摘出するなどの手術をおこなっています。

こうした事態について福島県の専門家会議は、2015年までに見つかった症例については原発事故との関連は認められないと報告。国連の科学委員会も事故との因果関係については否定的な見解を示しています。

画像(県民健康調査検討委員会)

一方、患者や専門家の一部には、「原発事故の影響は否定できない」と主張する声が根強くあります。

こうした議論がある中、忘れてはならないのが300人を超える福島の若者が今も甲状腺がんと共に生きているという現実があることです。

患者やその家族がどのような思いや「生きづらさ」を抱えているのか。今年3月、福島でシンポジウムが開かれ、原発事故のあと甲状腺がんになった若者たちが、10代でがんになるという重い経験を語りました。

今回、実名を公表して思いを訴えたのが、大学4年生の林竜平さん(22)です。毎日外で遊ぶ活発な子どもでしたが、小学4年生のときに原発事故が起きました。

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小学生時代の林さん

林さんは福島県が行う甲状腺検査を継続して受け、結節と呼ばれるしこりが見つかったのは中学2年のときです。

まだ5ミリ以下の大きさでしたが、高校1年のときの検査で10ミリを超え、精密検査を受けたところ、結節はがんと診断されました。

「実際に先生の口から『がんです』と宣告を受けて、驚いたのが正直なところ。5年生存率とか10年生存率を調べて、ほぼ99%に近いと出た。なんとか安心できると、だましだまし自分を安心させていた」(林さん)

囲碁のクラブに入り、期待に胸を膨らませていた林さんの高校生活は大きく変わりました。通信制の学校に転入したあと、16歳のときに甲状腺の半分を摘出する手術を受け、がんと向き合うことを余儀なくされます。

「(がんの)再発とか、もしかしたらCTで見つけきれない転移があったんじゃないかと、ずっと怖かった。前と同じような生活は難しいんじゃないかと思いました」(林さん)

早期発見が幸いし、順調に回復した林さんは希望していた大学進学を果たしました。いまは身近な人に自分の病気のことを話し、少しずつ理解を広げたいと考えています。

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大学生活を送る林さん

「忘れ去られてしまうのが嫌だなというのが自分の中にある。震災から10年の年にいろいろ話し始めたんですけれども、区切りがきてしまうと忘れ去られがちというのがある。当事者は目の前にいる。現実としていると伝えるためには、顔を出して自分の名前で発信していくのが大事だと思ったので始めました」(林さん)


「生きづらさ」を知ってほしい

人生の転機をきっかけに声をあげ始めた人もいます。いわき市に住む、渡辺真由さん(26)は、4年前にがんと診断されて甲状腺を半分摘出。

去年5月に結婚し、夫の健太さんと新たな生活を始めています。一緒にがんと向き合うパートナーに出会ったことで、これまで抱えてきた「生きづらさ」を広く知ってほしいと考えるようになりました。

渡辺さんが苦しんでいるのが、手術後の厳しい「食事制限」です。

海産物など、ヨウ素を含む食品を取りすぎると残された甲状腺の機能が低下するおそれがあるため、細かくリストアップして口にしないようにしていると健太さんが語ります。

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夫の健太さん

「この家で海鮮系は買わないようにしています。付き合い始めて聞いたときは、こんな人がいるんだなと思いました。ラーメンが好きだったんですけど(だしにヨウ素があり)食べられなかった」(健太さん)

渡辺さんには、もうひとつ知ってほしい悩みがあります。結婚を機に保険に入ろうとしたところ、病気を理由に断られたのです。再発のおそれもあるなか、十分な備えができず不安が募ります。

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渡辺真由さん

「『病院に通わなくなり5年たてば入れる』と言われましたが、結局入れなくて…。世の中の人に、自分みたいな人がいることを知ってもらいたい。手術したから終わりではない。その後の生活で問題点がいくつも出てくる。一人ひとり苦しみが違うので、つらいこと、苦しいことを分かってほしい」(渡辺さん)


それぞれが抱える不安とどう向き合うか

甲状腺がんを患った福島の若者たちの声。フォトジャーナリストの安田菜津紀さん(認定NPO法人Dialogue for People 副代表)は、その実態を知ろうとしてきただろうか、と自らに問いかけます。

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フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん

「渡辺さんの『手術をして終わりではない』という言葉や、林さんの『周囲に知ってほしい』という言葉を聞きながら、じゃあ私はどこまで知ってきただろうか、どこまで丁寧に知ろうとしてきただろうかと。一人ひとりの生活者としての話だったり視点の中にこそ、社会が向き合うべきものが見えてくると感じました」(安田さん)

患者を支援しているNPO法人「3・11甲状腺がん子ども基金」では、これまでに100人を超える当事者の声を冊子にまとめてきました。

画像(アンケート結果の冊子)

体がだるい。眠い。目がまわる。やる気の低下など学校へ行くのが大変。

(17歳・女性)

手術後の声の変化はすごくつらい。大きな声を出せない。

(20代・女性)

術後から現在まで、精神的に病んでしまうことが定期的にある。

(24歳・男性)

手術の傷があると女性は心理的に落ち込み、何事にも積極的になれない。

(20代・女性)

再発・転移の心配は尽きない。この先、出産できるのか。あと何年生きられるのか、いつも考えてしまう。

(26歳・女性)

手術のため仕事を辞め、就活中。薬を一生飲むので、金銭的・経済的に心配。

(28歳・男性)

NPOの事務局長を務める吉田由布子さんは、原発事故から年月がたち、患者のライフステージの変化とともに問題も多様になってきたと感じています。

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NPO法人事務局長 吉田由布子さん

「それぞれが抱える問題はさまざまで、ひとくくりにできないと思う。甲状腺がんは予後がいいと一般に聞いていましたけど、何割かの方に再発がおきたり、手術の直後には声が出づらい人がいる。そういうことで悩む方もいるし、妊娠・出産に対する不安など、いざ自分の目の前になったときに不安が大きくなると思うんです」(吉田さん)

声をあげにくい「空気」の存在

多くの若者たちが発信をはじめた一方で、声をあげられない、あげにくいと感じている人もいます。

5年前にがんで甲状腺をすべて摘出した20代のアユミさん(仮名・20代)は、仕事中に立っていられなくなるほど疲れたり、精神的な浮き沈みに悩まされるようになりました。

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アユミさん

「甲状腺がんをとったあとの人は疲れやすいとか、だるいというのがある。落ち込んだ状態、ギリギリの状態で生活している。(職場で)新人のときにだるいとか疲れやすいと言うと、『やる気がない』ことと直結されそうで嫌だったので、(自分の体調について)全然言えなかったし、伝わらなかった。ギリギリで働いている人もいると知ってほしいです」(アユミさん)

自分の病気について触れることを避ける空気のなか、アユミさんは次第に孤立。職場を変えざるをえませんでした。

「職場の人も話をしているとき、目線が私の首にいくんですけど、全然話してこない。あまりみんな触れられない。傷は目で見て分かるけど、触れられない雰囲気がありました」(アユミさん)

患者を支える家族も、甲状腺がんについて話しにくいという福島の空気を感じています。

地元の商工業者の集まりで自分の子どもの甲状腺がんについて話をしようとしたところ、「復興を目指す福島でそういう話は後ろ向きになるからやめよう」と言われた。以来、表だって話すことはなくなった。

(20代の患者の親)

放射能についての誤解や偏見に苦しんだ家族もいます。息子が職場でいわれのない誹謗中傷を受け、仕事を辞めざるをえなくなった母親の声です。

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息子の写真を見る母親

(職場で)甲状腺がんイコール、放射能が体から出ていると、わけの分からない理由をつけられた。(息子は)泣いたように目を腫らした状態で、「俺は汚くないよね、体から放射能なんか出てないよね」と。放射能が息子の体から出るわけはないので、誤ったことだと思うんですけど、どこにも相談できるところはない。

(患者の母親)

甲状腺がんの経験を発信する林竜平さんは、これらの声に対して他人事ではないと感じます。

画像(林竜平さん)

「もし自分がああいう言葉を投げかけられたらすごく悲しくなりますし、嫌な思いになりますね。自分は首もとの傷を隠さずに生活しているので、大学の友だちとかに『どうしたの、それ?』と聞かれるんです。自分は隠さずに『こういうことがあってさ』と伝える。見て見ぬふりをせずに『どうしたの?』と聞いてもらえると、自分の場合はすんなりとしゃべれます。ただ、あくまでもこれは自分の中だけなので、逆に触れてほしくない方もいると思うので一概には言えないんですけども、話しだすきっかけと、受け入れてもらえる雰囲気は大事かなと思います」(林さん)

社会に求められるのは、病気の情報を正しく理解することです。

「誹謗中傷や偏見は、知らないからこそ起きると思うんです。分からないから怖いし、避けたいという気持ちは、おそらく誰の心の中にもある。めげずに、いろんな方法でひとりでも多くの人に正しい情報を伝えるのがいちばんの近道であり、少し難しく時間がかかると感じます」(林さん)

「当事者や周囲の方々の自助努力だけに任せるのではなく、公的機関がこうした困難を抱えている人たちがいるんだ、誹謗中傷があってはならないんだと、積極的に発信していくことが不可欠だと思う。震災後の取材を通して私自身も感じてきたことですけれども、復興に進むための和を乱してはいけないから、我慢しないといけないと自分自身に言い聞かせている方々にも出会ってきた。そこに偏見や誹謗中傷が重なってしまうと、ますます声を押し込めざるをえない状況が生み出されてしまう」(安田さん)


周囲の理解で前向きに生きていける

手術後に直面した困難と折り合いをつけ、前向きに生きている女性がいます。

美容師のサクラさん(仮名・28)は、7年前に甲状腺がんの手術をしました。手術の直後は病気のことを伏せて首の傷跡を隠していましたが、体調を崩しても同僚に言えず、仕事を続けられなくなります。

そんなとき、立ち直るきっかけをくれたのが、同じ病気を経験した先輩の声がつづられた冊子です。「今は苦しくても、普通という名の素晴らしい生活を必ず取り戻せる」というメッセージに勇気をもらったといいます。

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サクラさん

「最近だと『出産しました』とかそういう情報もあって、自分の体をしっかり受け入れて、食べ物など気をつければ、子どもを産むとかみんなと変わらず生活できると思える。こういう情報を知ってすごくよかったと思います」(サクラさん)

先輩たちの歩みを具体的に知り、自分なりにがんと向き合えるようになったサクラさん。今の職場で病気について打ち明けたところ同僚も理解し、必要なときは気軽にシフトを交代してくれて安心して働けるようになりました。

「オーナーが『持病がある中で、体調管理に気をつけながらやっている。がんばっている姿は尊敬している』と言ってくれる。病気の話もお客さんと『前向きに過ごしていきたいよね』と普通に話している。自分も元気をもらうし、元気をあげられる存在でいたい。すごくやりがいを感じています」(サクラさん)


当事者の孤立をどのように防ぐか

甲状腺がんと共に生きている福島の若者たち。彼らが声をあげはじめたいま、それを受け止める第三者の存在が大切になります。

「甲状腺がんの子どもと、どのように向き合っていくか悩むお母さんやお父さんもいます。子どもは子どもで、親に心配をかけたくないのでなかなか言わない。だから、家族の枠を超えた第三者、近所の人でもいいし、学校の友だちや先生でもいいけれど、家族の枠を超えたところからも手を差し伸べてくれる、自分もそこを目指して手を伸ばすことができる関係ができるのは、本人たちにとっても力強い支えになると思います」(吉田さん)

「長年お世話になっているスクールカウンセラーの先生だったり、病院の看護師さんだったり、親とは違う第三者の方にお話しすると気持ちが軽くなりましたし、自分の中にずっとくすぶっていたモヤモヤがなくなったのは体験しました」(林さん)

画像(スタジオの様子)

当事者の「手術したから終わりではない」という言葉がありました。今後は社会がどのように取り組んでいくかが課題です。

「甲状腺がんの問題は、その本人や家族だけの問題ではない。当事者がどんなことに困っているのか、どんな助けがほしいのか、県や国が率先して当事者の声をすくい上げて、どのようにこの人たちを支えながら前に進んでいくのか聞いていく。そういう体制ができていくことがいちばんの早道になると思います」(吉田さん)

「一人ひとりに立脚して考えることが大切だと思うんです。当事者の方々が声をあげてくださるのはとても大切なこと。一方で、声をあげた当事者だけに背負わせるのではなく、そのバトンを受け取った私たちが次に何をするか問われてくる」(安田さん)

※この記事はハートネットTV 2023年8月8日放送「福島・甲状腺がん 語りはじめた若者の声をきく」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。


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