「ご主人の予後は、もうあと1ヵ月ありません。
お子さんに、予後のことを伝えたらいかがですか?
お母様からお話になれないのであれば、
医師である私から、お子さんに話しましょうか?」
緩和ケア病棟の担当医師から、主人の最終局面の際に言われました。
それって、本当に必要なことでしょうか?
それって、医師が子供に伝えるべき事柄でしょうか?
さも、すぐに話さなければなりません!あなたが無理なら私が、という、妙な使命感を背負ったような医師に、違和感を感じました。
緩和ケア医師は、良かれと思ったのかもしれません。
これまでも、他のご家族にそうしてきたのかもしれません。
人によっては、自分の口からは到底言えそうにないので、医師から子供に説明して欲しいと思われる方もいるかもしれません。
また、医師から見たら、
この母親は、子供に事実を伝えているのだろうか?
なぜ、あと1ヵ月程で亡くなるとハッキリ伝えないのだろうか?
子供は、自分の父親の死期を理解しているのだろうか?
と、やきもきしながら、我々家族を見ていたのかもしれません。
しかし、それは本当にこの医師がすべきことでしょうか?
私は甚だ疑問でした。
そして私の判断で、丁重にお断りしました。
なぜなら、その後の子供の人生の責任を持つのは、この医師ではなく、私なので、私が責任をもって、子供に私の口から私の言葉で伝える、それが最適最善と判断したためです。
確かに、主人はあと1ヵ月以内に旅立ってしまうかもしれません。
その厳然たる事実を、子供からすれば昨日今日出会ったばかりの見知らぬ医師が、未就学児の幼い子供に伝えたところで、どうなるのでしょうか。
専門性のある医師が説明したからといって、客観性が増して、子供が理解するとでも言うのでしょうか。
そこまで、医師は考えてのことですか?と。
医師は、その場で子供に説明したら、そこで任務を終了することができます。
しかし、子供からしたら、そこからが新たな境地であり、新たな戦いが始まります。
え?なんで?なぜあと1ヵ月?
お父さんは死んじゃうの?
死ぬってどういうこと?
自分はどうなるの?
ここから先の責任を持てない人が伝えるべき事柄ではないと、私は判断しました。
それに、闘病が始まってから最終局面を迎えるまでのこの数ヵ月、時間の経過とともに、進行していく病状に合わせて、主人と私、それぞれの言葉で、子供には直接伝えていました。
確かにあと1ヵ月という時間の指標を、子供に持たせてはいませんでした。
しかし、
お父さんの病気は、もう治らないかもしれない。
お父さんは、もう二度とお家に帰ることはできないかもしれない。
お父さんともう二度と会えなくなるかもしれない。
それでも、あなた(子供のこと)を、いつもいつも応援している。
世界中の皆が敵になったとしても、お父さんは必ずあなたの味方。
誰よりも近くで、誰よりも強い気持ちで、あなたを見守っている。
…そのような内容を段階的に、主人と私は、子供に伝えました。
それで、十分ではないでしょうか。
我々家族が、辛い現実を共有するには十分な時間を、最終局面を迎えるまでの数ヵ月の間に、十分な言葉を掛け合って過ごして来ました。
それ以上でもそれ以下でもありません。
むやみやたらに伝えれば良いというものではありません。
誰でも良いから伝えれば良いというものではありません。
いわんや、切羽詰まって来たから、伝えれば良いというものではありません。
いつ
誰が
どんな思いとともに
子供の目を見て伝え、
そして、
その後のフォローを誰が
どのようにしていくのか。
これら無くして、子供への告知は成立しないのではないでしょうか。