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ある病院の一室で行われた終末期患者の家族と医師のやりとり。その後、医師は“最終的な治療”をしたといいます。
その行為は果たして許されるのか。違和感を抱えながら取材を続けてきました。人生の終わり方を誰が決めるのか。あなたは、どう考えますか。(松江放送局 記者 奥野葉月)
コロナ感染拡大の影で
松江地方検察庁は臨時会見を開きました。
会見で配られた資料は1枚。
資料には以下のような説明が淡々と書かれていました。
被疑者(容疑者)。
住居 回答は差し控える。
職業 回答は差し控える。
氏名 40代男性。
事実の要旨(書類送検の内容 一部抜粋)。
被疑者(容疑者)は、島根県の病院において内科医として勤務していたものであるが、前記病院内において平成29年10月から入院し、看取り医療中であったAに対し、翌月28日に殺意をもって、未希釈の塩化カリウムを静脈注射し、よって同人を心室細動に起因する心停止により死亡させたものである。
処理内容 嫌疑不十分により不起訴。
松江地検が会見を開いて不起訴処分を明らかにするのは異例のことでした。
しかし、新型コロナウイルスが世界的に拡大し国内でも緊急事態宣言が出されるという当時の状況下で、この不起訴処分のニュースが大きく報じられることはありませんでした。
医師を書類送検
「病院の医師が書類送検された。殺人容疑で」
ただでさえ殺人や強盗などの重大事件が少ない島根県では大きなニュースになる可能性がありました。
とにかく情報を集めようと取材をすすめると「医師が患者に薬剤を投与して死亡させた。使用した薬剤は塩化カリウムだった」ということがわかりました。
塩化カリウムは、原液のまま投与すれば心臓を止める作用がある薬剤です。その塩化カリウムを薄めずに患者に投与することが「医療行為としてありえない」のは、医師や看護師の間では常識だといいます。
いったいなぜそのような行為に及んだのか。
その医師はどのような人物なのか。
特定
そうした中「その病院を退職した医師がいる」という情報がもたらされたのです。
何か知っているかもしれない。そう思った私は、思い切って入手した医師の連絡先に電話をかけました。
電話に出たのは、丁寧な口調で話すごく普通の男性。
どのように話を切り出そうかと考えていた私に、男性は「僕は医師をやめるかもしれない。もしくはやめないといけないかもしれない。前任地の病院が僕を殺人罪で訴えたから」と話し始めました。
取材をはじめて3か月、探していた医師が電話口の前に現れたのです。
証言
インタビューに応じた医師は、患者に説明するように当時、何があったのか経緯や心情を語りました。
2時間に及ぶインタビューで明らかにしたのは次のような内容でした。
Q 患者の状態は
医師
「平成29年10月。80代の男性が重度の感染症で救急搬送されてきた。私が主治医として治療にあたり、ひととき救命はできたが栄養状態などは改善しなかった。11月下旬には家族と話し合い、点滴を減らすなど積極的な治療をやめる看取り医療に移行した。亡くなる数日前には、助けられない状態だった」
Q 患者が亡くなった日の状況は
医師
「朝の採血の結果、腎不全は進行していて救命できないと判断した。患者の妻と息子などに電子カルテの前で最終的な治療方針について承諾を得たというふうに記憶している」
Q 塩化カリウムの投与と理由は
医師
「これ以上苦しんでほしくないという思い。容器に入っている4分の1の量の塩化カリウムを患者の静脈に投与した。心電図の波形から、投与が最終的に命を奪ったと言える」
Q 本人・家族の同意は得たか
医師
「(患者本人は)意思表示ができるレベルではなかった。(家族には)亡くなる数日前、看取り医療に移行することは説明し、記録も残っている。(塩化カリウムの投与については)『すっと亡くなる方法論』と『少し待つ治療法』があるというような言い方をしたんじゃないかなと思う。薬剤名を言うことはふだんからないので、使っていなかったと思う」
Q 踏み込んではいけない行為ではないのか
医師
「塩化カリウムを選んだことは社会的には間違いなんだと思う。一方で、患者と向き合ってきた医師としてやれることはやったし、これ以上は無理だということも判断したうえでの行為だったので患者さんやご家族を裏切ったという気持ちはない。医師が科学的な立場で余命も含めて予測をして、もっと積極的に関わっていくべきだと思う」
問われる医師の行為
中でも知られているのが、医師が末期がんの患者に塩化カリウムを投与して死亡させた1993年の東海大学附属病院事件です。
この裁判の判決で横浜地裁は安楽死が認められる(医師が罪を免れる)条件として
1 患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいる
2 患者の死期が迫っている
3 患者の苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、代わる手段がない
4 患者本人の明確な意思表示がある
以上の4つをあげ、これが現在に至るまで同種の事件の判断基準の1つとされています。
遺族の思い
亡くなった男性の遺族を探し、妻や息子への取材を重ねました。
遺族の1人は「事件のことは警察から聞いて初めて知った。最初は裁判でもしようと思ったが、若い先生だったと思うし『先生のいいようにしてあげて』と刑事さんに言った。蒸し返さなくていい」と話しました。
しかし、面会や会話を重ねる中で、亡くなった男性について「旅行をするのが好きな人で、よく家族で国内各地の観光地に遊びに行っていた」と思い出を語り「事件のことを聞いたときは本当に悲しかった。医師から注射についての話はいっさいなく、今でも納得していないし悔しくて許せない」と話しました。
そして、最期の日に病院にいたという別の遺族も「少しでも長く生きてほしいと思っていた。塩化カリウムを投与するという説明を受けた記憶はない」と打ち明けました。
検察の見方
そうであれば、検察は起訴に踏み切るのではないか。
私は検察幹部への取材を試みましたが、具体的なことを聞き出そうとしても答えは「捜査の状況や方針など具体的なことは言えない」の繰り返しでした。
なんとか感触を得たいと過去の事件と比較して、今回の事件をどう見ているのかなどと内容を変えて質問を続けました。
すると「一般論として」と前置きしてこう話しました。
検察幹部
「たとえば患者の病状が完全に悪くなっていて、あしたかあさってか、もういつ死ぬかわからない状態の人がいるとする。その状態で塩化カリウムを打ったことと、亡くなったことの因果関係をどうやって証明するか」
不起訴の理由
検察は医師について、不起訴処分にすると発表しました。
安楽死が認められるとされるあの4つの判断基準を満たすと判断したのか?家族の同意はあったと認めたのか?明確な説明はなく、医療分野で刑事責任を立証する難しさがにじみ出ていました。
人生の終わり方を誰が決めるのか。
起訴されれば、裁判に市民が参加する裁判員裁判の対象になり、そのあり方について社会的な関心が高まるはずだっただけに割り切れない思いが残りました。
患者が命を託した病院も内部調査の結果、今回のケースを「問題だ」として告発しましたが、現時点で、病院で何が起きたのかなど明らかにしていません。
不起訴に医師は…
不起訴処分の判断が示された後、再びインタビューに応じました。
「自分は有罪になるだろう」と話していた医師。
不起訴の結果に安心した様子も読み取れました。
改めて自らの行為をどう思うか聞きました。
(記者)
不起訴と聞いてどう思いましたか。
医師
「私の医療行為が患者の命を奪ったという部分だけを切り取れば、起訴すべきだったと思うが、全体的な病状の経過や患者を取り巻く環境などを勘案して判断を下したのではないか」
(記者)
遺族は『聞いていない』と言っている。
塩化カリウム投与に同意を得たと思いますか。
医師
「本人は意識障害や認知症で自分の適切な意思表示ができる状態ではなかった。
ご家族には、もう救命は難しいということを話したうえで、苦痛除去についての提案をいくつかして、点滴で様子を見るか、あるいは呼吸を抑制するようなタイプのもので苦痛除去になればというふうにお話ししたと思う。
そして海外では、こういう方法があるとして、注射での死亡という話も情報として話したと記憶している。
実際にはその中で比較的危ないと言われている塩化カリウムを選んだ。
私が説明した治療に比較的信頼をもって患者を預けてくれたと判断している」
専門家「現場で何が起きたのか議論すべき」
日本医学哲学・倫理学会の副会長なども務めた富山大学の盛永審一郎名誉教授は次のように指摘しました。
盛永名誉教授
「患者が意思表示できないし、家族も明確な意思表示があったのかよくわからない。そうした中で、医師が勝手に患者の気持ちをくみ取って“やってあげる”というのは許されない。検察は因果関係の観点から不起訴にしたが、1人の医師の主観的判断でこのような行為をしてもいいとしておくのは非常に危険だと思う。塩化カリウムをなぜ打ったのか、打たざるをえない理由があったのか。現場で何が起こったのかを明らかにして議論すべきだ」
また、医療倫理学などが専門で医療とケアに関するガイドラインにも詳しい東京大学大学院の会田薫子特任教授は、今回のケースを踏まえ、終末期の医療について次のように話しました。
会田特任教授
「厚生労働省やさまざまな医学会のガイドラインでも、本人の意向を中心に家族など本人を大切に思う人の意向を聞きながら、話し合いを進めて合意に至ることがとても大切な考え方だと言われています。医学的に適切な情報を踏まえて、本人の価値観、人生観、死生観が尊重されるような意思決定を医師を含めた医療チームが支援していくことが大切です」
社会に投げかけられた問い
医師への取材を重ねても、その行為への疑問、不起訴という結論への戸惑いが消えることはありませんでした。
身近な人の死は、あとに残される人の人生にも大きな影響を与えます。
男性は、どんな最期を迎えたかったのだろう。
医療現場で何が起きていたのか。
医師の判断は適切だったのか。
その問いは、超高齢社会の中で、このコロナ禍で生きる私たちに投げかけられていると感じています。
松江放送局記者
奥野葉月 平成30年入局
警察担当を経て浜田支局で島根県西部の取材を担当
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