主人と子供、どっちが大事?

 

そんな考えが毛頭なかった私ですが、当時未就学児だった我が子が、主人の余命が3ヵ月を切った頃に、私に言った一言でした。

 

「お父さんと自分(子供)、どっちが大事なの?」

 

 

我が子のそれは間違いなく、純粋かつ素朴な疑問でした。

何の悪意も、他意もありませんでした。

 

 

 

なぜなら、私は連日、主人の入院先・主人の会社・自分の勤務先・自宅・子供の預け先・実家を行き来し、私の両親にほぼ我が子を託していたからです。

 

主人の余命宣告・入院以前の生活と比べると、私と子供が共に過ごす絶対的な時間が、圧倒的に激減していました。

 

 

主人の看病・お見舞い・医師との面談のため、入院先へ。

長期入院・給付金等の事務手続きのため、主人の会社へ。

今後長く続くであろう闘病に備えて、治療費を稼ぐべく、働くため、自分の会社へ。

子供の行事参加のため、幼稚園へ。

自分の両親に預けた子供を引き取りに、実家へ。

 

 

どれも私でなければ行なうことができない、私の役目です。

どれをとっても、私が欠けてはならない、全力で当たらねばという思いでした。

 

だから、とにかく私の気力体力が続き動ける限り、あくる日もあくる日も車で走り続けました。

そのため、ある時は、1日あたりの総移動距離が優に200kmを超える日もありました。

 

 

それだけあちこち移動して、時間を費やしていたのです。

子供との時間が限られることは明白です。

 

そんな生活が始まって1ヵ月が経った頃の、主人が余命3ヵ月を切った時期に、我が子が私に純粋無垢な眼差しを向けて問うたのです。

 

 

「お父さんと自分(子供)、どっちが大事なの?」

と。

 

 

 

一瞬ドキッとしました。

 

お父さんが大事とも、子供が大事とも、言えるわけがありません。

だって、私にとっては、どちらもかけがえのない大切な家族ですから。

 

それに結婚・妊娠・出産から早十数年が経過していましたが、そんなことをこれまで天秤にかけて考えたことはありませんでした。

 

 

そしてまさか、

「お父さんは残された時間が限られているんだよ。」

なんて、言えませんでした。

 

「だから、今やらなければいけないことがあってね。」

なんて、言い訳がましい説明をしたくありませんでした。

 

「だからお父さんが最優先で、あなたは後回しでね。」

なんて、そんな残忍極まりないことを口にしたくありませんでした。

 

 

そもそも私は、主人が最優先で、子供は後回しだなんて、これっぽっちも思っていませんでしたから。

どちらも私にとっては大切で、両方真剣かつ全力で取り組んでいましたから。

 

 

 

そんな中、もしそんな思ってもいないことや、厳然たる事実である余命の話を、私の口から子供に伝えてしまったら、予期せぬことが起きてしまうかもしれません。

 

 

例えば、私の口から真実を伝えることによって、後日子供を連れて、主人の入院先へお見舞いに行った際、幼い子供が主人に、

「お父さん、あと少ししか生きられないの?」

だなんて、子供に言わせたくありませんし、主人にも聞かせたくありません。

 

 

主人だって、私だって、最後の希望を捨てずに、心折れずに、まだまだ取り組む意気込みでした。

それを悪意のない純粋な子供の一言によって、打ち砕いてはならないと思ったのです。

 

 

だからといって、常日頃から子供に、嘘は付いてはいけないと教育している身の私が、嘘を付くわけにいきません。

 

死期に関して核心に迫ることについては触れられないけれども、真実を伝えねばと思い、言葉を選んで、そして未就学児にも伝わる日本語で、我が子が理解できる概念を用いて、私は子供に話しました。

 

 

 

「あなたもお父さんも、お母さんにとって、とても大事なんだよ。

あなたも、お父さんとお母さんどっち?って聞かれたら、選べる?

ほら、選べないでしょ?

 

それと一緒なんだよ。

どっちが大事かじゃなくて、どっちも大事なんだよ。

 

リレーで順位を付けられるようなものもあるけど、順位を付けられないものも、たくさんあるんだよ。

 

 

それに、お父さんはなかなか治りにくい病気で、今病院に入院しているんだけど、もしあなたが入院していたとしたら、どうかな?

お父さんやお母さんがお見舞いに行かなかったら、どう?

ひとりで見知らぬ病院にいて、お家に帰れなくて、どう思うかな?

心細くない?寂しくない?嫌じゃない?

お父さんは今そういう状況なんだよ。

 

 

お父さんだけひとりで頑張ってるのって、どうかな?

可哀想じゃない?

お父さんも頑張ってるから、あなたも頑張れる?

お父さんとあなただけが頑張るんじゃなくて、お母さんもあなたと一緒にいる時間を取れるように、病院から急いで帰って来たり、離れていても極力電話したりすると約束するから、一緒に頑張れるかな?出来るかな?

 

じゃあ、あなたには何ができるかな?

お父さんは、あなたにどうして欲しいと思うかな?

 

そうだね。応援して欲しいと思うよね?

だから、お父さんが早く退院できるように、(未就学児の面会が少々制限されている病院だったため)あなたが直接病院へたくさん行けなくても、お父さん頑張れ!という、温かい気持ちをもってくれていると、お父さんも喜ぶと思うし、お母さんも嬉しいな。」

 

 

そう伝えました。

 

 

少しでも、状況を正しく理解して欲しい。

少しでも、相手を思いやる気持ちを持っていて欲しい。

その上で、少しでも、より良い言動をできるようになって欲しい。

 

 

そんな人に育って欲しいと、私が願ったからです。

また、入院先の主人に直接確認したわけではありませんが、主人も、この先我が子の成長を近くで見られなくなったとしても、きっとそんな人に育って欲しいと願うだろうと、私が確信していたからです。

 

 

 

そんな親としての願いも然ることながら、この状況は序章に過ぎないと思っていたからです。

 

もし主人が他界したら、私が今後一家の大黒柱として働くことは明らかでしたので、子供と一緒にいられる時間は、この先も引き続き限られるであろうと、私は心のどこかで覚悟していたからです。

 

 

だから、今ここで子供に理解して貰い、そんな人に育って行って貰うよう、私が仕向けなければ、この子はこのあと潰れてしまう、そんな危惧がありました。

そして、絶対にそうしてはならないという使命感がありました。

 

 

この時の段階で、主人からは、

「僕に万が一のことがあっても、子供のことは心配していない。

きっときみが、あの子をきちんと育ててくれる。

あの子は、良い子に育つに違いない。」

そう告げられていました。

(余談ですが、後々開封した遺言書にも、そう書いてありました。)

 

 

それを聞いて、尚更こう思いました。

先立つ主人を心配させてはならない。

あとは任せて!と自信をもって言える私でありたい。

 

 

そんな決意で、私は子供に向き合い話しました。

 

無論、この話をする前から、お父さんは病気で入院しているということは、子供に伝えていました。

 

ただ、幼い子供としては、お父さんが入院しているのは分かるけど、なぜ自分とお母さんは一緒にいられる時間が少なくなっちゃったの?と、素朴に疑問に思い、それとこれとがリンクしていなかったのです。

 

 

それらを繋げる手助けとして、私は子供が分かる言葉を用いて話しました。

 

文章上、簡略化して私の言葉として、上述の通り、ひとまとめで記載しましたが、出来るだけ子供に質問形式で尋ねました。

 

自分の頭で考えさせるためです。

私が答えを言うのは簡単です。

そうではなくて、子供に自分の頭で考えさせ、自分の言葉で答えを導き出させるための対話を重ねた結果をとりまとめたのが、上述の内容でした。

 

 

質問形式で尋ねた場合、子供は自分の持ち得る語彙力・理解力で、回答します。

すなわち、それ以上の難しい言葉では、子供には伝わらないのです。

だから、それ以上の難しい言葉は使わずに、あくまで子供の言葉をベースにして、対話したのです。

 

 

その結果、我が子は、最後に小さく頷きました。

 

 

この時、すべてを完全に理解し、納得したかどうかは分かりません。

 

しかし、相変わらず日々雑多なことに忙殺されている私でしたが、この出来事以降、私の記憶している限り、天秤にかけるような質問を我が子がすることは、二度とありませんでした。

 

 

そして、父親が他界してから数年が経ち、あの時未就学児だった我が子は、今小学生になりました。

 

そして、今フルタイムで働き、離れている時間も多い私ですが、

「お母さん、仕事がんばれ!」

と応援してくれています。

 

 

 

どうやら、あの時の主人と私の願いは、子供に伝わっているようです。

 

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