「夜勤ですか?大変ですね。」

 

主人が他界した直後の真夜中に、私が病院の車寄せから迎車のタクシーに乗った際、タクシー運転手さんが私に言った悪意のない一言でした。

 

悪意はないとは分かっていても、何とも言えない気分になったことを鮮明に覚えています。

 

 

夜中に病院からタクシーに乗る、三十路の私を見て、そのタクシー運転手さんは、夜勤の看護師と勘違いしたのです。

 

まさか今さっき夫を看取ったばかりの未亡人とは、努々思わなかったのでしょう。

なかなか遭遇するシチュエーションではないので、無理もありません。

 

 

「先程主人が亡くなったので、死装束を取りに自宅に戻るんです。」

なんて言える気力は私にはありませんでした。

そんなことを聞かせたところで、運転手さんも困るでしょうし。

 

看護師でも病院関係者でも何でもありませんが、

「はい、そうです。」

としか言えず、その後ずっと黙って乗車していました。

 

 

結婚から10年、いつも主人と車で行き来した道を、こうして一人タクシーに乗り、主人の死装束を取りに戻る日が来るなんて、誰が想像したでしょうか。

現実とは思えない出来事が起こった、その非現実的な状況に、これまでの余命が差し迫る恐怖とはまた違った類の、この先主人の居ない人生を歩んでいかねばならないという新たな恐怖を感じながら、夜中の街のネオンを車窓からぼんやりと眺めたのでした。

 

 

そして10分程で、自宅近くの大きな交差点に到着し、タクシーを降りました。

本当だったら、主人もここに帰って来るはずだったのにと思わずにはいられませんでした。

 

その交差点から我が家が見え、どうしようもない悔しさと切なさが込み上げ、思わずその交差点で、大きな声で主人の名前を呼んでみました。

 

真夜中とは言え、大きな通りでしたので、大型トラックやタクシーが往来する喧騒に、私の声はかき消されてしまいました。

 

これからどうやって生きて行こうと立ち竦んでいると、トラック同士のクラクションが鳴り響き、我に返って、信号を渡り、自宅へと帰ったのでした。

 

 

その頃、自宅では、私に代わって私の実母が我が子の面倒を見てくれていましたので、子供は当然寝入っていました。

 

実母は、真夜中でしたが、私からの一報を受け、起きて、主人の無言の帰宅を受け入れるべく、部屋を片付けて待っていてくれました。

 

 

実母には病院から一報を入れたものの、明朝起きる我が子に、この現実を何と言って伝えたら良いのだろうかと、トボトボと歩きながら、思案を巡らせ、答えが見つからないまま、帰宅したのでした。

 

父親が亡くなったことをまだ知らずに、すやすやと寝息を立てて寝ている我が子の寝顔は何と穏やかで可愛いことか。

 

また、この子のこんな可愛い寝顔をもう二度と主人は見られないなんて…と思うと、また涙が止まりませんでした。

 

 

 

あと数時間後に起きて現実を知る我が子の寝顔を見ながら、私は考えました。

 

主人が亡くなったということは、主人と共に歩んだ人生の終焉でもあり、主人の居ない人生の開闢でもあります。

 

そんな私の新たな人生に先立ち、こんなことを思いました。

 

 

今後も、悪意のない一言で傷付くこともあるでしょう。

いくら呼んでも、もう主人が帰って来ることもないでしょう。

 

それでも誰を恨むこともなく、ひとつのことに追い縋ることもなく、前を向いて力強く歩んで行く自分でありたいと思いました。

 

なぜなら、そんな私の姿を見て、我が子は成長して行く責任を、私自身が放棄したくなかったからです。

間違いなく主人は見守ってくれていると信じて歩んで行こうと心に決めた真夜中の出来事でした。

3件のフィードバック

  1. 良くお客さんを病院から乗せていて、
    看護婦さんが多く、皆夜勤で大変だから、ねぎらってあげよう、という善意だったのかもしれないけれど・・・うーん こういう時は放っておいてくれた方がらくってありますね

    1. コメントありがとうございます。

      そうですね。そっとしておいて貰えると助かることもありますね。
      特に緩和ケア病棟がある病院へ迎車に行かれるタクシー運転手さんは、こういうケースも無きにしも非ずということを知って頂けると有り難いなと思う次第です。

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