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ご本人もご家族も、来たる時に備えて、臨終への心の準備をしておきましょう。
私の配偶者が旅立った時もそうでしたが、残酷なことに、時間は一瞬たりとも止まってはくれませんでした。
様々な状況・病状・気持ちが刻一刻と変わり、
それらを受け止め、理解し、判断し、次なる対処・行動に移すことに日々必死でした。
いざという時に、慌てることのないよう、落ち着いてひとつひとつを受け止め、
残りの大切な時間をともに過ごしましょう。
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食事も喉を通らないようになり、意識が朦朧と一日中眠る日も多くなり、普段とは違う言動をするようになり、この身体の中では、一体何が起こっているのだろうかと、ご本人もご家族も、得も言われぬ恐怖と不安に駆られることもあろうかと思います。
せん妄のため、誰か別の人と間違えてしまうこと・間違われることもあるかもしれません。
手を握られても握り返せなくなる・手を握っても握り返してくれなくなるかもしれません。
そうかと思えば、突然呼ぶこと・呼ばれることもあるかもしれません。
でも、これが一生懸命に生きている証と思って、私は懸命に理解に努め、この人のために何がしてあげられるだろうかと考え抜いた、最後の日々でした。
なかなか食事が喉を通らない中、手作りの野菜ジュースが飲みたいと言えば、自宅でジューサーで作り、緩和ケア病棟へ連日届けました。
呼吸が不規則になり始めた時には、呼吸することを思い出して欲しくて、呼吸することを、生きることを忘れないで欲しくて、一生懸命声を掛け続けました。
いよいよ長く呼吸をしなくなり始めた時には、家族で分担して、夜間も絶えず見守りました。
亡くなる6時間前から、チアノーゼが出始め、この人の身体を頼むから紫色にしないでと祈る思いで、手足を必死にさすりました。
亡くなる30分程前から、下顎呼吸が始まり、これがあの下顎呼吸と言われるものかと認識し、いよいよなのかと恐怖に押し潰されそうになりながら、例えもう目を覚まさず、もう言葉を発することも叶わなかったとしても、きっと私の声は届いていると信じて、ただそこに居てくれるだけで良い、お願いだから生きてと心から祈り願い、最後の最期まで話し掛け続けました。
私は、ただただ理解しようと心掛け、自分にできることを落ち着いて行なっただけでした。
それもこれも、残りの時間を大切に、最後まで一緒に歩みたい、その一心でした。
私の配偶者が旅立ってから早数年が経過しますが、今振り返ってみても、理解しようとすること・落ち着いて行動することが重要だったと感じています。
それで後悔は全くないと言ったら嘘になりますが、これらのことができたお蔭で、私は最後まで諦めず出来る限りのことはしたと、自信をもって前向きに生きていく原動力になっています。
今、終末期を過ごされている方々は、決して「申し訳ない」なんて思わないで下さい。
誰かと間違えてしまっても、手を握り返せなくても、申し訳なくなんかないのです。
ただそこに存在して下さっているだけで良いのです。
そのことに、心から感謝しているご家族が必ずいらっしゃいます。
そのご家族のために、一生懸命生き抜いて頂きたいと心から願っています。
ご家族の皆様も、ひとつひとつの事象に囚われすぎずに、今できること・してあげたいことを、落ち着いて考え、できることから少しずつ行動してみて下さい。
決して無理をする必要はありません。何かを一気にやり遂げる必要もありません。
ただただ、一緒の時間を大切に過ごして頂きたいと心から願っています。