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 「救急だけで解決できない問題をなんとかしたい」と、卒後8年目に救急科から緩和ケア科に転身し、高齢者対応にやりがいを感じる医療現場を作ることを目標に活動を続けている。

救急医になり感じた「医療だけでは解決できない課題」

 学生時代から「親しい人が目の前で具合が悪くなった時に助けられる人になりたい」と救急医に興味があった。しかし、福井県で初期研修を開始してみると、不器用で考えるのが好きで、救急に向いているタイプではなかった。周囲からは「血液内科や神経内科が向いているよ」と他の科を進められることもあったが、福井大の寺澤秀一教授に「最後は好きなものが一番続くからそれが良いよ」と言葉をかけられ、もともとの目標だった救急の道に進んだ。

 ジェネラリストになりたいと入職した東京ベイ・浦安市川医療センター(千葉県浦安市)の救急現場は、駆け込み寺のようにさまざまなバックグランドを持つ人が訪れた。そこで、医療の知識だけでは解決しない問題が数多く存在することに気づいた。

 従来の救急は、一つの主訴に対して特定の治療を行うことが多かった。必要な緊急対応をした上で「明日また受診してください」と患者を帰すこともあった。しかし、生活環境が原因で時間外にしか来られない患者は多い。目標とする救急の指導医である舩越拓氏に「アドバンスな救急外来は、蘇生のプロでありながら、生活まで見据え、先のことまで考える必要がある」と伝えられたことが心に残っている。今後は、慢性疾患を複数持ち、医療以外にも課題を抱えた患者に合わせて救急医療を変えていく必要があると感じた。

 他の医療機関の医療者と話す中では、「これは医者の仕事なのか?」「自己責任ではないのか?」とネガティブな感情に触れることもあり、「高齢者対応にもっとやりがいを感じ、楽しく救急外来ができる現場を作りたい」と考えるようになった。

緩和ケア科への転身、社会福祉士の資格を取得

 そうした中で、より高齢者医療への理解を深める必要があると、飯塚病院(福岡県飯塚市)の救急緩和ケアセミナーを受講し、心肺停止患者の家族対応に関するワークショップに参加した。「実現したいことにつながる」と感じ、卒後8年目に緩和ケア科に転身した。

 転職先の上司である飯塚病院の連携医療・緩和ケア科部長・柏木秀行氏が社会福祉士の資格を取得していたこともあり、病気以外の生活面での対応もできるようになりたいと、社会福祉士の資格を取得した。系列の麻生医療福祉&保育専門学校通信課程を受講し国家試験に臨んだ。社会福祉士として医療現場に立つと、「できることが増えた」と感じている。社会資源の調整まで目を配り、ソーシャルワークの支援が必要な状況かを確認しながら、多職種で協同し目の前の患者の医療以外の問題に取り組めるようになった。

 緩和ケアに興味がある急性期の医療者は意外と多いと感じている。なぜなら、医療現場でどこまで患者の生活まで踏み込んだ対応が必要なのか、意思決定の際にどのように患者や家族とコミュニケーションを取れば良いのか、悩んでいる医療者が多いからだ。対話の技法を多くの医療者が知ることで救急現場の雰囲気が変わるのではないかと、現在は教育にも力を入れている。この分野に興味を持つ仲間がもっと増えることで、救急はよりやりがいのある雰囲気になるのではないかと考えている。歩み始めた救急医療と緩和ケアの統合に関して、また、その先の老年や福祉と救急の統合を見据えて、今後も活動を続ける予定だ。

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