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医療マンガには傑作が多い。しかし、なかでも最も示唆に富み、読者が学ぶところが大きいのではないかと思えるのが、原作・草水敏(びん)/漫画・恵(めぐみ)三朗『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』である。
病理医とは、臨床医の依頼で、尿や血液、細胞組織などの検体を分析し、顕微鏡で観察し、「病理診断書」を出す医師。たとえば、癌(がん)か癌でないか、どういった種類の癌か、病の原因になっている菌はいったい何なのか――。最終的な診断は臨床医が下し、治療の方針を決定するが、その判断の根拠となるのは、病理医が書いた病理診断書の所見である。
責任は重い。病理医は臨床医と対立することはあっても、患者に感謝されることはない。病理医は、医師の中のわずか0・6%、全国でも二千人くらいしかいないという。
岸京一郎はその中でも指折りの病理医だ。彼は確率で患者を診ない。少しでも疑問があれば検討と検査を重ね、担当医と激論し、最終的には「十割の診断」を標榜(ひょうぼう)する。もちろん癖は強い。『フラジャイル』はこの岸と、希少な病理医見習いの女性新人・宮崎、彼らを取り巻く病院・壮望会のシステム、そして癌に対抗するための画期的な新薬JS1を開発しようとする製薬会社とその治験の過程(これがめちゃくちゃ興味深い)との関係をめぐって展開する。
「十割の診断」とは、患者の主訴も、身体が示すさまざまな数値も、病歴も、すべてのつじつまがあい、病理医も臨床医も納得する診断のことである。もちろん、なまなかなことではたどり着けない。岸が、ときに宮崎が、最終診断を下す過程はスリリングであるが、同時に医師の診断とはいかに綱渡りなものであるか、思い込みあるいは「あと一歩」を詰めなかったための誤診が現実にはいかに多いかも認識させられる。
片方で、医療が、常に全力を尽くして危機を回避し、患者を助けようとする、いかに多くの医師や看護師のギリギリの努力で支えられているかも実感する。その努力の中には、有効な治療法がない患者が余命の過ごし方をどう納得して選択するか、「死ぬまでちゃんと生かす」緩和ケア医の仕事も含まれる。
病と、あるいはときに死と、向き合うことの覚悟と選択。「医師に何を聞くのか」の根拠と前提。『フラジャイル』にはそれがある。
医療には清濁併せのむ部分があり、先述した製薬会社と新薬開発の問題、病気腎の移植問題など、ここまで複雑で専門的なことを、わかりやすく、十全なエンタテインメントとして描き出す手腕には毎回舌を巻く。
おかざき真里『胚培養士ミズイロ』は生殖医療の最前線を描いたもので、これも他に類がない作品だ。
現在、夫婦五、六組に一組が不妊治療を受け、日本では十四人に一人が体外受精で産まれているという。
「胚培養士」とは、その際の卵子や精子を扱う仕事。本作では、「座る、手に取る、見る。一連の動作が精子と卵子のために最適化されている」ような抜きんでた胚培養士、水沢と一色を中心に、不妊治療の現場をあざやかに描き出す。不妊治療というと女性の問題と考えられがちだが、半数は男性にも原因があり、本作では、男性不妊や、卵子凍結の実際も具体的に取り上げられている。
しかしなにより印象的なのは、不妊医療の現場で、卵子や精子がいかに丁寧に細心の注意をもって扱われているかだ。「ああ…綺麗(きれい)な子だ…」と水沢が卵子を見ていう時、私たちは神々しいような思いにとらわれる。ここにあるのは確かに命の輝きだ。
医療マンガの最前線で闘う超一流の専門家たちは、「生命」の根幹に立ち還(かえ)らせてくれるのである。(ふじもと・ゆかり=漫画研究家)
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