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40代後半から急激に高まる「がん発症リスク」。生と死の分かれ道で“選択”を間違えないために有名人7人が死の淵で選んだ、がん治療を徹底取材した。
ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は2005年夏、血便をきっかけに大腸カメラの検査を受け、ステージ2の大腸がんが見つかった。
「医師が盲腸まで入れたカメラをゆっくりと引き抜いていくと、S字結腸のあたりで先生が『あれ?』と言ったのと同時に、隆起した粘膜が目に入りました」
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一見してがんだとわかったが、わずかな希望を持って医師に尋ねた。
「『がんですか?』と聞いたら、先生は『そうですね』と躊躇なく答えました。予想していたこともあり、ショックはありませんでした。先生に『どうしたらいいですか?』と聞いたら『切ればいいんです』と言われ、『ああそうか、切ればいいんだ』と思い、すぐに手術を決めました」
突如発覚したがんは、鳥越氏のジャーナリストとしての好奇心を刺激した。
「当時、世間では『がんは治療できる』『ステージによっては治る』という認識がほとんどなく、死をイメージする人が多かったんです。実際、私の家族もかなり落ち込んでいました。私自身は、がんをどう治療して、どんな経過を辿るのか、ジャーナリストとして自分が経験したことを伝えなければと思いました。だから、手術をすべてカメラで撮ったんです」
手術当日、テレビ番組に電話出演し、がんを公表。多くの視聴者が鳥越氏にエールを送り、手術は無事成功した。
「手術後、全身麻酔からなかなか覚めず、次女にペチペチと頬を叩かれながら『あなたの名前はなんですか?』と聞かれ、もうろうとした意識の中、『アホ』と答えました(笑)。家族は、いつもどおりの私に安心したかもしれませんね」
しかし、大腸がんの手術から2年が経過した2007年に、肺への転移が、さらに2009年には肝臓への転移が見つかった。
「転移しても、まったく自覚症状はありませんでした。検診を受けていたおかげで、早期に発見することができましたね。肺に転移した際は、左肺の一部を切除し、右肺にも転移が疑われたので切除しましたが、結局がんではありませんでした。肝臓に転移した際は、70gほど切除する様子を番組で放送したんです。でも僕の肝臓は、モザイクをかけて放送されてしまいました。それが心残りですね(笑)」
がんを経験し「免疫」がいかに大切かを認識したという。
「僕ががんとここまでつき合ってこられたのは、免疫力のおかげだと思っています。免疫力をつけるには、なにより食事が大事です。朝はヨーグルトを400gに、バターを薄く塗った食パン1枚と、コーヒーを1杯。昼は食べずに、夕食では必ず納豆と卵と野菜を食べます。動物性たんぱく質を適度に摂ることが大事なので、豚肉をよく食べますね。年齢を重ねてもじっとしていてはダメ。アクティブでいることが大切です」
2012年には、ホノルルマラソンに挑戦し、ほかの参加者とのふれ合いから、生きるパワーをもらったという。
「走っているとき『私もがんと闘っています』『がんの手術の前に挑戦しました』と、さまざまな方に声をかけていただいたんです。自分だけではないんだと強く感じました。タイムは8時間ほどでしたが、貴重な時間となりました」
現在は、自身の闘病体験を伝え、がん患者を支援する活動にも精力的だ。
「『人間到る処青山あり』が私の座右の銘です。どこにいても自分の人生はある。なるがままに身をまかせて、そこで精いっぱいおこなうという生き方をしてきました。あと何年かで死ぬことは予想していますが、これからも精いっぱい、死ぬまでジャーナリストでいたいと思います」
取材/文・吉澤恵理(医療ジャーナリスト)
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