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想像と違いすぎた“風景” 新人看護師 この1年

東京や大阪などの大都市だけでなく、地方都市でも猛威を振るう新型コロナウイルス。過疎地の拠点病院は患者を一手に引き受け、常に医療崩壊の危機と隣り合わせです。
去年、病院で働き始めた新人の看護師にとって、この1年は、まさに新型コロナとの闘いでした。みずから感染したり、精神的に追い詰められたりしながらも、努力を続ける看護師たちを取材しました。(岡山放送局記者 平間一彰)

最後のとりで

兵庫県と隣り合う岡山県北部。人口およそ10万人の津山市にある津山中央病院は、県内に4つしかない感染症指定医療機関の1つで、過疎地の拠点病院として重症患者の受け入れを積極的に進めてきました。

その病院が医療崩壊に直面したのは去年10月でした。急増する患者に対応するため、8床しかなかった感染者向けの病床を24床に増やしたものの、感染拡大ですぐにひっ迫。この地域では人工呼吸器を使った高度な治療は津山中央病院でしかできませんが、近隣の医療機関からの重症患者の受け入れ要請を断らざるをえませんでした。

その直後に患者は死亡。“最後のとりで”の病院が崩れ落ちた瞬間でした。

追い打ちをかけた“院内クラスター”

さらに追い打ちをかけたのが、院内で発生したクラスターです。新型コロナの患者が治療を受ける病棟とは別の入院病棟で、患者や看護師など24人が相次いで感染しました。

クラスターの後、病院は入院患者を急きょ別の病棟に移動。看護師のPCR検査も速やかに実施しました。検査は1日おきに行われ、看護師たちは防護服を着て患者のケアにあたる日々でした。

取材で出会った新人看護師

病院の取材を続けるなか出会ったのが、当時、新人看護師の川島さん(仮名)です。クラスターが発生した病棟で働いていました。

病院の喫茶室で、ケーキとコーヒーを口にしながら取材に応じてくれた川島さん。しばらくして「実は後遺症で味がわからないんです」と打ち明けられ、初めて川島さんがクラスターで感染した看護師の1人であることを知りました。

命を救えなかった“悔しさ”

川島さんが語ってくれたのは、胸の内にある悔しさです。感染後、10日間の自宅療養中に受け持っていた患者が亡くなりました。

その患者は、皮膚の病気で入院していた高齢者。当時、皮膚の状態は良くなり、もうすぐ退院だったにもかかわらず、新型コロナで容体が急変しました。亡くなったあと、家族が「こんなにきれいにしてくれてありがとうございます」と話していたと聞き、悔しい思いでいっぱいになったといいます。

折れそうな心を支えてくれた同期

川島さんには4人の同期がいます。同期は、互いに弱音を吐き合える仲。新型コロナの感染で自宅療養を余儀なくされたとき、何も言わなくても食べ物の買い出しを手伝ってくれるなど、心の支えとなっていました。

川島さんは、感染確認後、間近に控えていた大好きな姉の結婚式の出席を諦めました。ドレス選びなども手伝い、自分のことのように楽しみにしてきましたが、人に感染させる心配がなくなっても、クラスターが起きた病院の看護師というだけでどう見られるか心配になったからです。「姉に迷惑をかけたくない」という思いからでした。

そんなとき、同期の「一緒に乗り越えよう」ということばが力をくれたといいます。

休職を余儀なくされた同期も…

しかし、過酷な現実を受け止めきれなかった同期もいます。新型コロナの重症患者の対応にあたってきた武田さん(仮名)です。

武田さんに異変が起きたのは、去年の大みそかでした。院内クラスターが収束し、ほっとしたのもつかの間、朝、ベッドから起きられなくなりました。

その後、食欲がなくなり、ひどいときには食べ物を見ただけで吐き気を感じる日々。それでも、責任感から休まず仕事を続けていましたが、やがてマイカーで出勤しても車から降りられなくなりました。

武田さんはことし1月、「うつ病」と診断。休職を余儀なくされたのです。

極度の緊張と重圧

武田さんは1年目の病棟で、極度の緊張と重圧を感じていました。自分が感染しないか、患者に感染させないか。新型コロナで重症化する患者にどう対応すればいいか。不安や心配は次から次に襲ってきます。

武田さんは、みずから感染しなかったものの、受け持ちのがんの患者が感染し、重症化してしまいました。
「完治は難しく、余命はあとわずか」
医師が厳しい判断を下すなか、患者は「苦しい、苦しい」と何度もナースコールを鳴らしたといいます。

武田さんはそのたびに病室に向かい、何度も背中をさすりました。背中をさすることしかできることはありませんでした。

武田さんがやりきれないと感じたのは、患者が家族に会えなかったことです。新型コロナのため、入院患者は全員家族との面会を禁止されていました。感染した患者なら、なおさらのことです。

面会が許されたのは、患者が亡くなる直前でした。もはや「苦しい」という言葉すら出ない最期。涙を流す家族の姿が、武田さんの脳裏から離れないといいます。

「天国のおじいちゃんとの約束を果たしたい」

休職中の武田さんは、初心を思い返していました。看護師を目指したきっかけ…それは、中学生のときに自宅で倒れて亡くなった祖父に、何もしてあげられなかったという後悔からでした。

「おじいちゃんのように病気で苦しむ人を助けたい」と考え、看護師を志した武田さん。夢に出てきた祖父に「看護師になる」と約束し、祖父が息を引き取った津山中央病院を希望して働き始めたのでした。

強い思いで看護師になったにもかかわらず休職してしまった武田さんは、心の中で何度も祖父に「ごめんね、ごめんね」と謝ったといいます。

それと同時に、「ここで終わっていいのだろうか。おじいちゃんとの約束を果たしたい」という思いに駆られていました。

2年目の病棟で

休職から3か月たったことし4月、病棟には武田さんの姿がありました。2年目の看護師として復帰を果たしたのです。

その日は、入院していた男性の高齢者をベッドから車いすに移動させ、院内を散歩していました。

武田さん(仮名)
「自分がこんな状態で患者さんに接していいのかと悩みましたが、患者さんの役に立てていると感じられてうれしいです。患者さんから学ぶことばかりです」

同期の“支え”で国家試験に合格

一方、川島さんにもこの春、うれしい知らせが届きました。国家試験に合格し、准看護師から看護師になることができたのです。

支えてくれたのは、休職中の武田さんが貸してくれた自作のノート。武田さんが看護学校に通っていたときから作り続けてきました。

ノートには参考書の切り抜きやイラストなどが貼られ、もともと3センチほどの厚みが20センチほどにまで膨れあがった努力の結晶です。

川島さんはいまも後遺症で味覚と嗅覚が戻っていません。しかし、武田さんのノートを見て、「自分も頑張らなければ」と勇気づけられたといいます。

看護師たちの“使命感”に依存する現状

2人が、市街地を一望できる公園を一緒に訪れる機会がありました。1年前、看護師になる夢や目標を語り合った思い出の場所です。

1年前と同じ景色を見ながら、2人は「想像していた1年目とは違った」とことばを選びながら語ってくれました。

川島さん(仮名)
「想像していたのは、病棟全体が落ち着いていて新人として少しずつ仕事を覚えていくイメージでした。新型コロナで本当に忙しい1年でしたが、看護師としての責任感や緊張感を身にしみて感じることができました」

武田さん(仮名)
「『頑張りたい、頑張りたい』で一生懸命に進むだけでなく、自分の体調や心にちゃんと向き合っていればよかったです。これから仕事で挽回していくところを天国のおじいちゃんに見せたい」

感染拡大が続くなか、医療現場の負担は長期化しています。
その最前線で闘う看護師の個人的な使命感に依存していていいのか。
私たちが「感染しない、感染させない」ことはもちろん、社会全体で医療従事者や医療機関を支える仕組みづくりが求められていると感じました。

岡山放送局記者
平間 一彰
新型コロナと闘う
医療現場を
最前線で取材。
オンライン診療の
現場などにも密着。

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